2017年11月21日火曜日

よみがえる昭和の唱歌コンサート

 

先週末、浅間神社で行われた「よみがえる昭和の唱歌コンサート」に、ボーカル・加瀬澤彩友美さんと、静岡県郷土唱歌の歌い手として出演させていただきました。

ご来場くださったお客様、浅間通り商店街のスタッフの皆様。

ありがとうございました!

ライブの間に、静岡県立大学の名誉教授で、静岡県郷土唱歌を研究されている高木桂蔵先生の講演をはさみ、かなり濃厚な時間でした。

先生は、レコーダーを持って静岡の山間部などに赴き、童歌や民謡などを収集していらっしゃるそうで、「時間との闘いなんです。」と仰っていた。

まさにその通りだと思う。

高齢の方がだんだんこの世を去るとともに、貴重な歌は失われていってしまう。

僕たちが世代の違う文化に興味を持ち、地域に根ざした生活をしない限り、残念ながらそれらは消えていく定めなのかもしれない。

それぞれが、思い出深い好きな歌とともに人生を歩んでいって、時代に合わなくなれば歌は自然に忘れられてゆく。それはそれで当然のことだろう。

ところが最近、歌が失われていくことは、時代に合わないものが淘汰されているからではなく、「自然破壊」に近いもののように思えてならない。


共同意識を確かめるために合唱したり、歌を作ったりすることは、今では少なくなった。

どちらかというと、情景や物事よりも心を扱った個人的な歌が多くなったと思う。

もちろん昔から心は歌われているが、それは「広い景色の中にいる、私の心」であり、今はそれが「私の心のためにある景色」に変わりつつあるように感じる。

その心が、歌の中の紅葉照り映える丘や、カエルたちの鳴き声や、故郷の山川をすみに追いやって、都合のいい形に捻じ曲げつつあるとしたら。

きっと本当の森林破壊のように、人の心に実害を及ぼしてくるのでは…、と考えてしまうのである。

「時間との闘いなんです。」という先生の言葉は、更に重く感じられるのであった。

なんて、ツタナイ自説を繰り広げてしまったが、大切に、昔の歌、地域の歌を出来る限り知って守っていきたいと思うのでありました。


全然関係ないけど、この写真、なんか妙に合成っぽくない?

2017年11月13日月曜日

おとぎ話~スノド~ドロフィーズ

忙しいけど楽しかった3日間。

NolenNiu-de-Ossi&丸山研二郎「おとぎ話の夜」と、そして、Lica Cecato JAPAN Tour in Shizuoka × Mika da Silvaに、ドロフィーズ・インテリアに来てくださった皆様、ありがとうございました。


デオッシとは4ヶ月ぶりの共演でした。

いつもながら楽しみなのは、デオッシ・サウンドはたった数ヶ月会わないだけでも「必ず」進化していること。

今回も、ユニークでしみじみと噛み締められる新曲を聴くことが出来た。自分のステージも含めて、お互いの関わり方、役割、楽しみ方もどんどんいい形になってきているような気がしました。

そんなデオッシとは2月にレコーディングを一緒にすることが決定!またその詳細は追って報告します。お楽しみに!


翌日はスノドカフェにて、ブラジル人シンガー「リカ・セカート」さん、評論家でもありパーカショニストでもある「ケペル木村」さん、静岡のミカ・ダ・シルヴァさん、ホベルト・カサノヴァさんご夫婦と共演させて頂きました。

リカさん(日本用の名詞に里香・チェカートって書いてあった笑)や皆さんの人柄が超オープンで、もう今日は純粋に楽しく、そして心熱くなったライブでした。

僕たちって(ミュージシャンであっても)どこか音楽は生活の脇に置いて、余暇でやっている場合が多いけど、リカ・セカートさんの歌は、喜怒哀楽が常に生活の中心として音楽に溶け込んでいる気がした。

だからこそ言葉はわからなくても、喜びや憂いが音に乗って心に迫って来るんだな。

誘ってくれたミカさん、ホベルトさん、素晴らしい演奏をありがとう。

仕事や行事の中にいても、家族と寛いでいても、いつでも音楽とともにある。
それが一番人間らしいと思う。

そんなシンプルなことに改めて気がついた2日間でした。


さらに翌日、浜松は都田にあるドロフィーズインテリアの宿泊施設「白のminka」にて、丸山研二郎+てづかあい+原口朋丈のトリオで、フリーライブをさせていただきました。

北欧デザインを中心とした異国情緒たっぷりのスペース。

カフェや雑貨店も敷地内にあり、ゆっくり半日過ごせるおすすめスポットです。

どれもこれも素敵なご縁をありがとうございました(^^)

2017年11月5日日曜日

秋の夜長コンサート


去る10月29日でわたくしも35歳になりました。

たくさんの方に支えられながら生活しているんだなと、特に子どもが生まれてからは、何かにつけ実感します。

そんな誕生日に、自分の実家でもある浜松・正晨寺での「ミニ法話と音楽の夕べ・秋の夜長コンサート」が偶然重なり、昨年に引き続き、ジャズシンガー鈴木麻美さんとのデュオで演奏しました。

またも台風に阻まれそうになりましたが、足元が悪い中、たくさんの方にご来場頂きました。ありがとうございました。

ちょうど演奏が終わる頃には、晴れ間がのぞき星も見えるというご褒美つき。

ミニ法話は、地獄と極楽の違いについてのお話でした。

ある男が地獄・極楽を見られるという旅行に参加すると、どちらの場所も似たようなところであった。

どちらも食卓にはごちそうが並べられていて、食べる際には同じルールがある。
1メートルもあろうかという長い箸で食事をすること。

地獄の亡者たちは長い箸で食べようとするが、長く持てば口には運べず、短く持てば端が隣の人にぶつかり、たちまち大喧嘩がおこり食卓はめちゃくちゃに。結局食事はほとんど食べられないのであった。

ところが極楽の住人は、長い箸では自分の口には運べないことを知っているので、お互いに向かい合って、食事を交互に食べさせあっている。そのためお互いに感謝の気持ちが芽生え、いつも平穏に、ひもじい思いもしないのであった。

というお話。

もちろんこれは例え話で、実際にそんな世界があるわけじゃないけど、「長い箸を使って食事をする」という例えは意外といろんな僕達の活動に当てはまるような気がする。

一人の力では成し遂げられないことばかりであり、我を張って自分だけが得をしようとすれば、そのとばっちりが別の人に当たり争いの種になる。

自分の身の丈をよく知って、助け合っていくべきなのだ。

なんて、口でいうほど簡単じゃないが。

家族も増え、我を張ってもボロが出て大したことなかったと、妙に考えさせられるこの数年。いつも支えてくれる妻に感謝である。

2017年10月14日土曜日

元気ライブ2017


何だか物凄いパワーと個性のコンサートだった。
作業所連合会「わ」の西部地区主催「元気ライブ2017」にお誘いを受け、演奏に行ってきました。

とても楽しく演奏させて頂きました。お客様、スタッフの皆様、ありがとうございました!

僕達の他には、障がいを持った方の事業所が企画するバンドが主に出演。
当事者の皆さんと、職員さんとが同じステージに立ち、パフォーマンスに取り組む。

ふたつの対象的な事業所が出演し、

ひとつはお菓子作りや内職などをきちっきちっと細やかに支援するいわゆる作業所。

もうひとつは全国的にも有名な、アート活動に取り組む自由な気風の事業所。

それは音楽性にも現れていて、前者は、皆がよく知っている有名な曲を、ダイナミズムや決まりのメロディはきちんと職員さんが主導権を握りながらエンターテイメントに努めているのに対し、

後者は、前衛的な語りと身体表現、毒々しい言葉もあり、誰が主導というのではなく即興も楽しんでいるようだった、いや、そもそもアンサンブルしない…?という感じ。

そのどちらも、メンバーはとても活き活きと演奏しているように見えた。

そしてそのどちらにも、あの…、どうやって音楽作ってらっしゃるんですか?と1時間ぐらい質問したかった。

中部地区でも頑張っていかないとね。

2017年10月12日木曜日

郷土唱歌CD発売記念ライブ


静岡の郷土唱歌を編曲しないかという依頼を受けてから、もう1年ほど。

唱歌集「静岡県郷土唱歌」の全28曲を編曲・録音し、T2オーディオレーベルよりCDを発売。
そして、ついに!レコ発ライブを無事行うことが出来ました。

まずは、ライブに来てくださった皆様、関わってくださったスタッフの皆様、ありがとうございました!

いやー、大変だったけど、本当にいい経験になりました。


郷土の歴史などの豆知識をMCではさみながら、出演の都合で抜いた2曲をのぞく、26曲を唱歌集の順番通り淡々と演奏したわけだが、まさに「初演」という言葉がふさわしい発表会であった。

つまり正直なところ、メンバー一同緊張したり、まだこなれていなかったりしてふわふわとした感じだったのだ。

第一回目にしか味わえないその雰囲気は、ある意味貴重だけれど。


改めて考えてみると、ぼんやりと捉えどころのない戦前という時代の、教育を目的とした生真面目な曲たちと、自分の様々なジャンルに触手を伸ばした編曲とが反応して、妙に不思議な唱歌が出来上がってしまったように思う。

僕達の小さな小さな郷土には、色とりどりの愛すべき景色が数限りなくある。
その土地土地に漂っている情感を、演奏によって表してみた結果だった。

そうそう、最近、古い白黒の写真や映像に色を付けるという活動があるが、まさにそんな雰囲気だ。

余分なこと…、と捉えてしまえばまさにそのとおりかもしれない。
でもそれによって見えてくる、リアルな現代と過去のつながり、というものもあるだろう。


録音も終えてから、実は「静岡県郷土唱歌」にはピアノ譜が存在していたことを知った。

小学校の先生が弾くための、ごくごく唱歌らしい伴奏であった。

それは本当の白黒写真で、まさに資料として大切にしなければならないものだと思う。


今の世の中は、文化も常識もどんどん移り変わっていって、おばあちゃんの知恵袋は迷信に、親の意見と茄子の花は、どうもきれいに咲かなくなってしまった。

うちの子は2歳になるが、まだ舌っ足らずで、咲いた咲いたチューリップの花がー、を
「ぴっぴっぽーのはだがー」と一生懸命歌っている。

せめて、おじいちゃんもおばあちゃんも、僕達も、子ども達も、みんなにこにこしながら一緒の歌を歌えるように、大切に語りついでいきたい音楽はもっとたくさんあるように思う。



2017年9月20日水曜日

空の灯音楽隊LIVEVOL.2

 
空の灯音楽隊LIVEVOL.2に来てくださった皆様、そして関わってくださったスノドカフェ始め、音響、照明、記録映像、受付、販売等々のスタッフの皆様、ありがとうございました。

メンバー一同本当に感謝しております。

公演から2日たち、ちょいと頭も冷えてきました。

ソロとしても、バンド・空の灯音楽隊としてもまだまだ荒削りな音楽(やっきになって削りすぎて無くなっちゃったりして…)を、たくさんの方に協力していただき、あのように綺麗に飾り付けていただいたことは、とてもうれしく、これからも公私ともに頑張っていこうと強く思っているところであります。


何年も前のこと。

ある友人が、「研二郎の音楽は、まるで長い絵巻物を見ているようだね。」というようなことを言った。

生活の一場面や、または心象の世界から、いろいろな風景を切り取ってきたものが自分の曲だ(誰の曲もそうかもしれないけど)。

なので全部の曲はつながり合っていると思う。

2枚の写真があれば、その間には、写り込まなかった空間と時の流れが本来はあったように。

それはすごく個人的な空間・時間であり、わざわざ額に入れて人に見せるものではないかもしれない。


少し前。

また別の知人が、「作品の説明というのはするべきだと思う。」というようなことを言った。説明をする権利がある、って言ったんだったかな…。

作品とは別の言葉で、その良さを伝えることは悪いことではないと。

だって、普通の商品や工芸だってそうして初めて売れるわけだし、芸術だけそれが下世話に思われるのはおかしいだろうと。

確かに、と思った。

「この曲はこういう時に作って、こういうメッセージを持っています。こんな風な気持ちになってもらえたらうれしいです。では〇〇を聴いて下さい。」

というようなMCがあんまり好きではなかった。
それは歌で感じさせることじゃん、って何処かで思っていた。

でも、はっきり意味を伝えるからこそお客さんにその歌が染み込むんだな、と思い直した。


この2つの言葉の記憶がキッカケで、だったら、ひとつひとつの曲の解説も含めて、作品(絵巻物)にしてしまおうと思ったのが、昨年のLIVEVOL.1から始まったコンサートのテーマだった。

日本画の詞書(ことばがき)みたいなものですね。

作品の説明や日付なんかも含めて一つの絵になってしまっている。
これってすごいなと思うのだ。

それが、MCをすべて詩の朗読にする、という挑戦だった。

第2回の今回は、今度は逆にその詩をもとに曲を作ったり、より物語性を持たせてみた。

朗読も、SPAC(静岡県舞台芸術センター)俳優の布施安寿香さんにお願いし、その実力をお借りして、より幻想的な物語の空間を作り上げることが出来たと思う。

もちろん挑戦は上手くいったことばかりではなく、もっともっと洗練させていかなくちゃいけない部分もたくさん発見しました。

いろいろな方に感想を伺いたいと思います。


最後に…、心配された台風も予報よりかなり遅れ、無事に開催できましたことも感謝したいです。台風によって被害にあわれた地域の一刻も早い復旧と、多くの方の安全を祈りつつ。

そんな危うい天候にもかかわらず、大幅に予想を上回る112名のお客様がご来場くださいました。

重ね重ね、本当にありがとうございました。

これからもあたたかいご指導(厳しくしないでねw)を、よろしくお願いいたします。

空の灯音楽隊LIVEVOL.2
丸山研二郎 加瀬澤彩友美 黒川浩和 しほみ てづかあい
中司和芳 原口朋丈 misato 渡辺真由子
ゲスト・布施安寿香

2017年9月15日金曜日

インド人に道を尋ねると、全然検討ハズレの方向を教えたりする(そうでない人ももちろんいるが)。

当然、後になって、

おいおい、嘘つきやがって!

と思う。

ところが、どうもそれは「嘘」ではないらしい。

あまりに心がホットなので、見ず知らずの異国の旅行者に対してかわいそうで、「知らない。」と言えないらしいのだ。
なので、当てずっぽうに答えてしまう。


やさしさの在り処、というのは難しい。

多くの人は、最初から「知らない。」と言ってあげたほうが親切だよ、と思うだろう。

わざわざ行った先で、違った、と気がついたときの徒労を考えれば当然だ。


でも、僕にはこのインド人の気持ちがなんとなく分かる。

さすがに当てずっぽうに道を教えたりはしないが、よかれと思ってしたことが的外れで、逆に悪く思われたりすることは誰しもあることだ。


この間、引っ越しを控えた知り合いから電話があった。

いろいろお世話になったお礼に贈り物を持って行きたいんだけど、たくさんあるので車で迎えに来てほしい…、とのこと。

あのね、お礼したいんだったら自分で持って来てくりょ!と僕は心のどこかで思うのであった。

でも逆に、そういうありがた迷惑や、盲目的な感じ、というのがもっと理解されるようになったらいいな、とも思うのだ。

それを、あなたほんとに感謝してるの!?こうあるべきじゃないの!とやっつけてしまったら、やさしさや思いやりなんていうのは、遠くの小さな的を正確に射抜くような、高度なテクニックになってしまうではないか。


結局迎えに行って、「お礼は自分で運べる分だけでいいですよ。」ってなことは一応言ったけど、きっと僕の的が狭かったんだな、と思って反省している。


練習に練習を重ねた形式的なやさしさはとても大切だが、後先考えない衝動的なやさしさも、僕は好きだ。

自分の「的」は広いほうが、人付き合いはもっとハッピーになりそうだ。

イラッとする場合もあるけど、それはどうやらお互い様なのね。