2017年6月23日金曜日

上手さとは

音楽の「上手さ」とは何だろうとよく考える。

あいつは上手いだけで個性がないね、などといわれて、上手い人は嫌われることすらある。

やっぱりそれは本当の上手さじゃなくて、ただ単に指が早く動くとか、たくさんの曲やフレーズを知っているとか、リズムや音程が正確だというだけなんだろう。

どこまで行っても全体的なことじゃないのだ。

僕はブラジルの音楽が好きで、聴いていると、何となく上手さということのヒントをもらえるような気がする。

歌の音程が甘かったり、リズムがガタガタしていたり、そんな音が恥ずかしげもなく陳列されているのに、名盤として讃えられていたりする。

(それは分析的に聴くと…の話であって、ブラジルの音楽家って全然下手くそじゃないんだよ。実際は上手くないとできない音楽。誤解のないよう。これは、商業音楽以前のワールド・ミュージック《もちろん日本の音楽も含めて》にも言えるんだが、商業音楽に片足を突っ込んでいてもなお、何かが残っているのがブラジルと僕は勝手に思っている。)

でも、聴いているとそんなことは気にならなくなって、圧倒的な雰囲気に飲み込まれて陶酔してしまう。

僕の好きなこの曲もそうだ。

Artur Verocai - Caboclo
https://www.youtube.com/watch?v=ZnC-XX70XWw

よく聴くと歌なんか音程もフラットしてるし、ギターもチューニング狂ってんの?っていうぐらいなのに、なぜか逆にそれが気持ちいいとすら思える。

涙が出そうなぐらいにかっこいい。

この圧倒的な存在感は何だろう。

そこに本当の上手さの秘訣があるような気がする。

2017年6月21日水曜日

おとぎ話ツアーatスノドカフェ


NolenNiu-de-Ossiとの「おとぎ話」はどうも本当に長い話になっていきそうで、自分でも予測不可能で非常に楽しんでいる。

6月のおとぎ話ツアー、スノドカフェ七間町に来てくださった皆様、ありがとうございました。

回を重ねるごとに濃厚になっていく、という表現は自己満足的に軽々しく使われる場合があるが、なかなか、本当に濃厚になっている実感のある、この企画なのです。

今回は、完全に生音のライブであった。

僕は、生音のライブが好きだ。

(音響を否定しているわけではないですよ。上手な音響に恵まれたときの心地良さは、また至福。)

デオッシの音楽も、やっぱり音響を通さない生の音で聴くときが一番感動する。
今回のステージは、僕が今まで見た中では一番好きだったかもしれない。

楽器と声とのバランスが取りにくく、小さい音はより繊細に、力強い音は生々しく響く。

機械を使って増幅したときとは、また違った何かを音に乗せていかないと、ただ音が小さいだけ、になってしまう。

音響有りよりも、生でやるときのほうが何かを加えなければいけない…、という。
いや、というよりは、もともと演奏の中に有るべきものを、音響を使うときには引かなければならない、ということ。

ここがおもしろいところ。

で、そのもともと有るべきものってなに?というのは、非常に感覚的なもので、うまく文章にはできないのでございます。


オンコールで急きょ、デオッシのオリジナル「決めた」を3人で一緒に演奏した。
とても深くていい曲。

NolenNiu-de-Ossi 『決めた』
https://www.youtube.com/watch?v=bTDk99HTM7U

うちの妻と子どももプロモのどこかにいるよ。


次回は我らがホーム、UHUにて。

7月8日の夜です。
ぜひチェックしてくださいね!

2017年6月14日水曜日

分断

自閉症などの障がいを持った人たちが、音や光や、“普段と違うこと”や、まわりの変化に非常に敏感なのは、科学的に意味があって、彼らは、本来的な人間存在の中では、人間のコミュニティが自然や人間以外の環境とどう付き合っていくか、を敏感に察知していくためのアンテナのような役割を持っていたのだ、という。

逆に、いわゆる健常者(と自分で勝手に言っているボクたち)は、どのように効率的に社会を回してゆくのか、を考える役割に特化している人たちなのだ。

今はなぜか、後者の力が強くなってしまって、本来ちゃんとした役割を持っていた人たちに「障がい」というレッテルを貼っているのだ。

…という研究がなされているという記事を読んだ。

なるほど、言い得て妙だなと思う。

「あのさー、環境のこととか、平和についてとか、一度でも考えたことあるの?」と質したくなる人は確かにいる。

先の話でいけば、そういう人は、自分に与えられた社会を回していくことに特化しているだけなのだということになる。


ここからは自分の推測の話だが、例えば、

①環境からのメッセージを察知する人→②受け取ってシステムを作る人→④できたものを効率よく回す人→⑤結果を分析し後に伝える人

こんな役割が考えられる。

これが分断されて、お互いが理解できず蔑んでいるのが今の社会ではないだろうか。


そうやって考えると本来はもう一役、その違いをつなげていくための潤滑油のような役割をもった人が存在したはずだ。

「→」のところに存在する人たち。

それは、「本来の」音楽家とか芸術家などという人たちではないだろうか。

または人ではなく、それは「本来の」宗教や、信仰といったものではないだろうか。

だから!わたくしたちが頑張らねば、という話に持っていくのは、こじつけだと思って黙っているわけである。

しかし、あくまで「本来の」というところは強調したいポイントである。

2017年6月10日土曜日

別々の記憶

特定の人種や思想を持った人を、差別したり、意味なく嫌ったりすることはいけない、と思う。

言うまでもなく当然のことだが。

ところが差別の種はそこかしこに潜んでいる。

昨今ニュースを賑わせた、障がい者施設などで起こる虐待もその片鱗だろう。

理解しがたいものを、自分の価値観を超えたところで想像力を働かせ、受け入れる。
または、こうあるべきだ、という手放しがたい自分の物差しを、手放す。

そういうことができる人は非常に少ない。

自分もできない場合のほうが多い。

もちろん僕は障がいを持った人に手を上げたことはないし、これからも決してしないだろう(口喧嘩は時々するけど…)。

しかし同じ福祉職員として、虐待に加担する人の気持ちは常に、疲労や不理解の裏、紙一重のところにある、と感じる瞬間がある。

これが恐ろしい。

そして、優位な、ある立場に回った者は、タガが外れるととことんやってしまうのだ。
しかも、それを間違っていると思えなくなってしまう。


ところで、僕には韓国人の親友がいる。

本当にやさしい人で、しかもユーモアがあり、彼以上の紳士を僕は日本人の中に知らない、というぐらいだ。

旅行がてら、韓国の彼の実家に遊びに行ったことがあった。

彼のお父さんは(今はもう亡くなったが)、流暢な日本語で僕を迎えてくれた。

どうしてそんなに日本語がお上手なんですか?とうっかり聞いてしまって、あっ、と返事が来る前に後悔したのだが、息子である彼は、「お前らが支配してたからだろうがよー。」と笑いながら言った。

彼のお父さんも別段怒ってもいなかったが、本当に申し訳なく思った。

当時はきっと辛い思いもされたことだろう。


これは、教科書が正しいかとか事実がどうかとか、そういう問題ではないんだ。

彼らには彼らの記憶があり、またその生活の中で違った面から日本という国を見ている。
その物差しを僕が持っていないだけだ。

的外れかもしれないが、今、日本だけでなく、横暴な右寄りの政治を推し進めているのは、どこか心に差別心を持つ人たちの力によるところは大きいだろうと思う。

その世界に知り合いもおらず、ニュースや、正しいかどうかもわからない知識だけで、あいつらは!と曰う人の浅はかさである。

彼に出会う前は、自分にも少しそういうところがあったかもしれない。

もちろん、政治のやり方として、個人のあり方として、悪いところは悪い!と言わなければならないこともある。

誰かが書き間違えた本を読んだまま、終生理解し合えない人もきっといるだろう。

ところが、転んではいけない側が確かに存在する。
先に転ぶのは常に「ある立場に回った者」達なんだと思う。

そして、仲間たちの日常の疲労や他の世界に対する不理解の裏に、すっと甘い言葉を差し込んで、味方にしてしまう。

しかも、それを間違っていると思えなくなってしまうんだ。

2017年6月6日火曜日

藪の中

すっかり夏めいてきて、少し歩いた川沿いでは、ホタルが少し切なげに夜を漂っている。

立葵の花が咲くと、ああ、また一年がたったなと思う。

自分としてはなぜか季節の移り変わりを感じる花だ。


今日は国会中継を見ていた。

本当に、つくづく、これからの日本はどうなってゆくんだろうと思う。

もちろん今に始まったことではないが、少なくとも安心してはいられない時代だ。
しかし、「安心して」人々が暮らしていた時代などなかっただろう、とも思う。


どちらかが嘘をついている。

最近そんなニュースばかりだ。

または両方とも嘘か、ウソとホントが入り混じってめちゃめちゃになっているか。
まさに「藪の中」である。


身近でも似たようなことがあった。

-こう言ってたらしいね?

-いや、言ってないですよ。

-でも〇〇が△△だって君が言ってたと、Aさんから聞いたよ。

-いや、〇〇って単語すら使ってないと思います。

-え?そうなの?

-□□が☓☓とは言ったかもしれないけど。

-うーん。

たかが友人同士の会話で、薮に入ってしまうのだから、たくさんの組織が入り混じっていればなおさら、である。


しかし、本当に信じるべきは何だろう、と思う。


本当であるか、嘘であるか、そんな無味乾燥なことが問題なのではない。

大事なのはムードなんだ。

最後には悪いやつらは改心し、愛する二人は無事添い遂げるという物語のムード。

どんな物語も、数が多い方がムーディだったことは一度もないのだった。


ぜんぜん真面目な話じゃなくなっちゃった。

ごめんなさい。

きれいごとでうまくいくなら誰も苦労はしないよね。
でもさ、きれいな世の中であって欲しいと切に思うよな。

2017年5月21日日曜日

東壽院ライブ

NolenNiu-de-Ossi&丸山研二郎 おとぎ話ツアー2017

東壽院さんでの公演が無事に終了いたしました。

まずは、急にも関わらず、会場の手配に音響にとご尽力して下さったトラディッショナル・サウンドの堀池さん、快く受け入れて下さった東壽院ご住職始め、寺内の方々、遠方から駆けつけて下さったお客様、ボランティアで受付を買って出て下さった俳優の関根さん、本当にありがとうございました。

他にも「うちで演っていいよ」とか「会場紹介するよ」などと、何人かの方に温かい声をかけていただきました。

仲間のありがたさを改めて感じた今回でありました。


さてさて僕達、丸山研二郎&原口朋丈は、今回の練習+公演を通じて一歩深まったように感じた。

アレンジに関して原口くんともいい話ができた。
和太鼓とギターをどのように組み合わせるかについて、小さくて大きな手がかりを得たような気がするのだ。

それは技術的なこと(ここは秘伝のタレと同じで企業秘密ね)でもあったが、精神的なことでもあった。

和楽器と洋楽器は、ある意味でぜ~んぜん合わない。

楽器の音や、それが組み合わさった曲の、良さに対する考え方がそもそも違う。

どちらかが活きると、どちらかの良さが失われてしまう。

一見合っていると思うのは、ただ音階や音のタイミングが合っているだけで、本当にその楽器同士が合奏しなきゃいけないのか、と問われると、どうかな?と思うものも多い。

ではなぜ挑戦するのかというと、和楽器奏者・原口朋丈氏が、素晴らしいミュージシャンである以前に、安心して心を委ねられる友人だからだ。

その友人が、偶然に和楽器を演奏していただけの話だったんだ。

今まで妙に、音楽的にダサくない新しいコラボレーションの形を模索しようと、考えすぎていたかもしれない。

無理に利益を失ってまで合わせる必要はないし、時には我慢も必要だ。そして出る時は存分に出る。相手が出る時は相手を立てる。

それがいい音楽を作る素だった。

そして、友情を持ってお互いの音を信頼し、尊重していくことが、楽器や音楽性の違いを乗り越えてゆく唯一の方法だったのじゃないか。

そんなシンプルなことに気がつくのに何年もかかる。

やーい、って思うでしょ?

実際やってみ。大体自分のことで精一杯になっちゃうんだから。


デ・オッシの2人は、相変わらず素晴らしいステージだった。

彼らも、楽器に関しては僕らと同じ側面を持ったユニットだ。

きっと僕がやっと気がついたようなことは、とうに乗り越えているだろうけれど、だからこそ、その音楽が唯一無二の魅力を持って、常に新しく語りかけてくれるんだろうなと思う。

それに、何か2人に会うと妙に安心するんだよね。

この2組はずっと続けたいな。


次回、2公演もお楽しみに!

さらに磨きをかけて頑張ります。


■6月16日(金)
スノドカフェ七間町
出演
NolenNiu-de-Ossi(ノレンニゥー・デ・オッシ)
丸山研二郎(ソロ)

OPEN 18:30 START 19:30
入場料¥2000 + 1ドリンクオーダー

スノドカフェ七間町
静岡市葵区七間町7-8
TEL 054-260-6173
http://www.sndcafe.net/sc7.html


■7月8日(土)
LIVEHOUSE UHU
出演
丸山研二郎&原口朋丈
NolenNiu-de-Ossi(ノレンニゥー・デ・オッシ)

OPEN 18:00 START 19:00
入場料¥2160 + 1ドリンクオーダー¥500

LIVEHOUSE UHU
静岡市葵区七間町9-10 ワイシーシー第ニビルB1
TEL 054-253-1418
http://livehouse-uhu.com/

2017年5月20日土曜日

若干の疲れ

たまにイベントなどで頼まれて歌ったりするので、職場にはミニギターを持って行って置いてある。

今日は妙にくたびれてしまったので、ふと思いついてギターを取って5分ほど弾いていると、すーっと疲れがほどけた。

やっぱり音楽には癒やしの力があるんだなと改めて思う。

何の曲を弾いたかって?

バッハ。

うわー、きざったらしくて、はずかしー。