2018年1月10日水曜日

Seven Elefants bring Happiness

 
音楽制作・音響スタッフとしてかかわらせていただいた、市民による創作舞台公演「セブン エレファンツ ブリング ハピネス」。

雨天にも関わらず、公演は超満員。
野外での大道芸・練り歩きのパフォーマンスも無事開催でき、充実した手応えになりました。

お越しくださった皆様、ありがとうございました。

そして参加者のみなさん、スタッフのみなさん、長い間の準備、稽古、喧々諤々の打ち合わせ(笑)お疲れ様でした。


舞台は、大正時代の七間町。急速に浸透する活動写真(後の映画)に魅力を感じる人たち、古くからの芝居にこだわる者たち。神社の伝統的な奉納舞と、自由な表現による踊りを思い描く巫女たち。

もっと伝統を守っていかないといけないんじゃないか。
昔の社会のほうがみんな幸せだったのでは?

などと、僕もよく考えます。

現代の僕達の生活は、そんな大正時代のスピードよりも、より加速した変化の中にあり、起こっていることも桁違いに世の中に影響を与えていきます。

でも、100年前の静岡の七間町で起こっていたであろう、そんなドタバタした喜劇が、今の僕達の生活とリンクするのです。


劇の中で、伝統的な奉納舞に固執する神主さんに対して、「大切なのは手段ではなく、それを行う目的ではないでしょうか。」という学校の先生の台詞がとても身にしみました。

奉納舞も、誕生した時は新しいものだったのでしょう。
それはだんだんと形骸化して、変化を受け入れなくなります。
(一部のジャズ喫茶のマスターみたいなものです。おっと…失言。)

最後に神主さんが後ろ姿で、ちょっとだけ理解を示すところもいいシーンでした。

手段ではなく、目的を守っていく。

音楽や芸術もそうだし、生活の中の流行りや、衣食住、宗教や思想に関しても、とても大切な考え方だなと思いました。

この演劇のメッセージは当然これだけではなく、笑いあり、大道芸あり、美しい身体表現ありの色とりどりの構成の中に、見る人の立場によって、きっと沢山の印象があったと思える、面白い物語でした。

企画・発案は、スノドカフェ・柚木康裕さん。
脚本は、伽藍博物堂座長・佐藤剛史さん。

新年一発目に、この作品に関われたことをとてもうれしく思います。

2018年1月9日火曜日

新年のご挨拶と2017まとめ

あけましておめでとうございます。
旧年中は、大変お世話になりました。

まずはお客様に。
そして、僭越なる音楽に華を添えてくださった舞台や会場のスタッフの皆様。
大切な音楽仲間たち。
支えてくれる家族や友人たちに感謝したいです。

という投稿がすでに9日。
遅くなりすみません。

新年一発目に謝るのも何ですが、すでに音楽活動は始動しており、とても前向きに進んでいます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


昨年は…、
どんなことがあったかなと思ってコンサートの記録を見ていると、意外にもライブは30本ほどでした。
平均すると月2~3本のペースかな。

一時期からしたら随分減ったと思います。
県外も、一度東京へ行っただけでした。

が、この妙な“乗り切った感”はなんでしょうか。

きっといろいろあったのです。
他人事みたいですが、「おい頑張ったな。」と自分の肩を叩いている違う自分がいるような気持ちです。


今年は、和楽器奏者・原口朋丈氏とのデュオで沢山ライブをさせてもらいました。

「和太鼓・パーカッション・篠笛」と「ギター・声」の2つの相反する音色を、いかにお互いの良さを殺さずに、さらにこの組み合わせでなければ出来ない音楽に作り上げるか、が課題でした。

セッションを重ねて、ギターの繊細さを損なわず、そして和楽器の迫力も感じられる、幻想的な音楽に近づいていると思います。


そして、大切な音楽仲間で友人でもある「NolenNiu-de-Ossi(ノレンニゥー・デ・オッシ)」との企画「おとぎ話ツアー」では、三味線をフューチャーした彼らの音楽と、僕達とで、偶然にも非常に珍しい、和楽器に焦点を当てた音楽イベントが出来上がりました。

来年の公演も密かに企画中です。乞うご期待。



昨年末、T2オーディオの坪井氏からオファーを受け、取り掛かっていた、唱歌集「静岡県郷土唱歌」全28曲の編曲を完成。CD化しリリースすることが出来ました。

これは長い仕事だった。


音源もなく、今ではほとんど歌われていない音楽の譜面から、伴奏や前奏、間奏などをすべて作り、その上でほどよく郷愁を感じさせつつ、かといって「唱歌」の本分をわきまえたアレンジに仕上げる…。

それを28曲。という気の遠くなるような作業でした。


録音に参加してくれた空の灯音楽隊のメンバーと共に、レコ初が出来ました。

メンバー一同緊張していたらしく、第一曲目は僕が一人で歌い出すはずだったのに、いきなりコーラス全員が歌い出しちゃうという。僕は横目で、おや?おや?と思いながらも一緒に歌っておりました。

まあ、今だから言える裏話です。

まさに初演らしい緊張した演奏だったけど、楽しかった。



そして何と言っても、「空の灯音楽隊」のLIVE Vol.2を仲間たちとともに行えたことはとても大きかったです。

まだまだ内容的には稚拙ながら、音楽隊のライブの一つの方向性を描くことが出来たと思います。もちろん、そこに固執するつもりはありませんが、次回はもう一歩深まったものをお届けできるよう、勉強していきたいです。

詳しい内容は、先日投稿した朗読のテキストとYouTubeで御覧ください。

前回投稿
http://kenjiromaruyama-ongakuzakki2.blogspot.jp/2017/12/live-vol2.html




ライブ自体の数は少なかったけれど、ひとつひとつが自分にとっては印象深いものでした。

お客様にとってもそうであったらいいな、と振り返っています。


さて、今年はどんな一年になるでしょうか。

今年のちょっとした目標。

「壁を作らない」

子供の頃、母親が突然僕のために「協調性」というコンピレーションCDを買ってきたことがあります。

そんなに協調性が無かったのかしら。

確かに、学校や子供会の行事とか嫌いだったし、積極的な方じゃなかったけど。

そんな話を妻にしたら、「今は協調性のかたまりじゃん。」と笑われました。

実は、恥ずかしがり屋で人に頼れないし、結構壁作ってんだよね、と思い、今年の目標はこういうことにします。

その協調性というCDは、まだ実家の棚にあります。
ですが中身はどこかに行ってしまい、ケースだけです。

協調性は必要なくなったのかもしれませんね。

一曲目はガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」でした。
それから僕はこの曲が好きです。

Rhapsody in Blue
https://www.youtube.com/watch?v=_kIpr6nSvjI

2017年12月23日土曜日

LIVE Vol.2 朗読テキスト

今年9月に行った空の灯音楽隊LIVE Vol.2では、SPAC俳優の布施安寿香さんとコラボレーションし、物語を下敷きにしながらの音楽コンサートを作りました。

その時のテキストを公開させていただこうと思います。

ライブ映像と合わせてご覧下さいませ。

LIVE Vol.2 前半
https://www.youtube.com/watch?v=jK8X5XihI8c

LIVE Vol.2 後半
https://www.youtube.com/watch?v=BJYTpc1es4c



空の灯音楽隊 LIVE Vol.2
歌詞・朗読テキスト 丸山研二郎
中央に表示は歌詞



大爆発の歌

揺れる炎の風
すえた影をふりまく
もののけが湾を埋める
海の上のまっすぐな道

陽炎が 街を揺らす
太陽が爆発する
もののけは 傘をさし
雲の影に 足をすくわれる

煙る爆発の後
すえた水色の雨
天の揺籃 静かに満ち
始まりは遠く 近しいところ


晴れやかに 伸びやかに遊び
あっという間に 日は行ってしまう

夕まづめに まだ何か 優しい時間が残っているように思い
一日を振り返ってみるが
夕飯を食べ お風呂に入れば すぐに眠る時間がやってくる

子どもの頃 寝る前には 母親に物語をしてもらうのが好きだった 
どこにでもありふれた昔話だ 

むかし むかしあるところに… 

眠りに落ちる一瞬の間に 幼い子はたくさんの夢を見る

夜の闇の中に 草木や 子ども達の笑い声や 甘い飲み物や 
鬼や異形の物怪や 涙や 火の粉が…
ぐちゃぐちゃに溶けて 夜ごとにたまってゆく

それは 底の見えない ひろいひろい水面  

ここちよい光を見つけ 春の風に舞い
苦境に祈り また 小さな恋の炎に身を焼くようになるころには
その水たまり 広大な海の 繊細な成り立ちを
思い起こさずにはいられなくなる

そして ぐるぐるとしためまいの中で
一杯一杯 その水をすくっては眺め
すくっては眺め 思い出を探そうとするが
小さな器からは 透明なあたたかい水が こぼれ落ちるだけ
一生を捧げても その海をかい出すことはできない

朝起きると 寝る前に着ていた寝間着とは 違う服に変わっている
尋ねると きっとそれは妖精の仕業だ と母は言った

そういえば…
よく晴れた風の強い日に 誰もいない部屋で
ピューピューと悲しげな音を立てるもの
それも妖精だった

そんな話も こぼれ落ちた水に 少しだけ写っていた 


もえたつもの

ふかい やみのそこで
もえたつもの もえたつもの
風と わずかな空

ゆらり 雲は流れ
はなつ光 はなつ光
こころ しずかに解く



春の風に乗り
野辺を吹きわたり
険し山を越え
輝く西の空へ 輝く西の空へ

雲は風になり
土は花の糧
愛し面影は
崩れ出す波の上を 舞い渡る鳥の羽根

春の悲しみは
融けてゆきの日を
胸に宿しつつ
ほころぶ花のように ほころぶ花のように


空の灯

朝まだき うるむ空の灯は
こどもの心に 玉砂利の砂
うれいを数えて うちよする
彩りかすかに 火影をはらう

青み青み かげろい青み
透き通る風に ガラスの火花
一つ目小鬼の あこがるる
きしみはかつての 争いの音

うすずみのとばり 赤金の
たそがれの果ては また愛の果て
標なき夜にも 星の降る
こがねし はるけし 炎の野原

空高く進め 夜の端を
あたたかきものよ 命の光
(千光年の冷たい空)
果てなきボイドの ただ中に
(果てなきボイドの ただ中に)
しずかにしずかに たれさせたまえ
(打ちならせ 妙なる鐘を)


二人生きてくラブソング

鉄板の空に 月が輪をかけ そっと落ちる エメラルドの星
きみは涙 海に溶かし わたしは心 空へと投げた

ひとり ひとり 夢の中
正しさを知るまで歩く
逃げ腰のきみ わたしと同じ
少し 少し さびしい 今
二人待ってる ラブソング

指と指かさねて はじまるラブソング そっと結び ほどける沫糸(あわいと)
きみは心 わたしに伏せ わたしは涙 こらえてたたずむ

それにしても 今夜はきれいね
きみの涙よ きみの涙よ
いつも心は わたしと同じ
少し 少し やさしい 今
届きそうかな ラブソング

どこまで行くだろう この海越えて どこにいるの ほんとのわたし
きみを愛しているだけじゃなく わたしを愛してくれるだけじゃなく

ひとりひとり 夢の中
正しさを知るまで歩く
逃げ腰のきみ わたしと同じ
すべて すべて 捨てたい 今
二人生きてく ラブソング


こんな景色は

Pa こんな景色は 前にも見たな
Ti こんな景色は 前にも見たね
Pa 行き場を失ったトビが 輪を描いて昇ってゆく
Ti 行き場を失ったトビが 一直線に落ちてゆく
アリエス 手放してくれ
作り上げた夢もすべて
空の高さ恐れながら
やさしい風にふわりと浮かぼう

Pa そんな言葉は 前にも聞いたな
Ti そんな言葉は 前にも聞いたね
Pa 手を伸ばせば 触れられそうな命の光だね
Ti 手を伸ばせば 触れられそうな命の光だね
ジェミニ 手放してくれ
 作り上げた夢もすべて
小さな火が消えるの恐れながら
さしい風にふわりと浮かぼう

Pa こんな景色は前にも見たな
Ti こんな景色は前にも見たね
Pa やさしい月の夜に 涙があふれた
Ti やさしい月の夜に 涙があふれたね
リブラ ともに手放そう
作り上げた夢のすべて
小さな体に命を満たして
やさしい風にふわりと浮かぼう

小さな体に命を満たして
やさしい風にふわりと浮かぼう



空の彼方には 大きな大きな水瓶が浮かんでいる
雨の前には 密かに天空で その水瓶の水があふれるのだと

そんなことを聞いた

僕はあまりに 透明に思いを馳せすぎて
地上にいながら 天空の水に溺れてしまう

雨は地面を空へと変える
空に落ちてしまうものにとって 
それは 無限に続く穴だ
   
みんなくるくるまわっている
上手に上手にまわって 水たまりの上を 飛び越してゆく 
それはそれは簡単に 
水たまりに映る空を 飛び越してゆく 

僕はあまりに 透明に想念を書き換えすぎて
ごりごりと 空回りをしている
一体どこにいるのか 自分にも見えなくなってしまったので
泣いているとわかっていても 行って抱きしめてやることができない

水たまりに映る空は 穏やかで 底のない海のようだ

ふと 何かの声に気を取られ 回るのを止めた 

あっ というそのすきに 僕は真っ逆さまに空へと落ちた

逆さまの街を抜け 山を一瞬横目に
浮雲を通り越し
薄い膜のような 雲の層を続けざまに抜けると
空は 青から藍へ 群青へ そして漆黒へと 急激にグラデーションする

体はほぼ動かない
落ち続けながら 抵抗とも逡巡ともつかない意識を
落下する方向へと向け続ける他にどうすることもできない
絞られるような 感覚の痛みが
体を 足の先から段々と 細く細く搾り取り
胸を 首を 頬を 彼方の虚空へと置き去りにし
まるで僕は「目玉」だけになって
漆黒の中を きり揉みのように
めちゃめちゃに進んでいるように思えた

きりきり舞いになった僕の「目玉」は
落ち続けるうちに はたして 進んでいるのか
ものすごい速度で上空へと浮き上がっているのか
はたまた 真っ暗な四角い箱に閉じこめられ 止まっているのか

わからなくなった

くるくると回りながら 水たまりを飛び越していた あの連中は…!
と ふと頭をよぎる
とたんに

巨大な幕を剥ぎ取るように目の前が明るくなり

僕は 果てしない空間を 無数に
逆さまに落下しつづける 空に落ちたものたちの群れを見た


レンガ祭

夜の先は 赤いレンガ祭(さい)
やすらぎのないものを ぐちゃぐちゃに集めて
夜空の穴に 火をくべる 星のかまどに

火の子をまく 赤いレンガ祭
静かな街かどで 飲み物に目を伏す
あどけない顔の夜の人 まきをくべよ!

それはきれいにするところ
祈りわずかに深く燃ゆ
ヘリオポーズの先までも
夜風は今とふいごする
それは…

夜は満ちる 赤いレンガ祭
夢路の山鳥は
やがて咲く 花の精
星のかまどに 朝露が
静かに落ち 夜は明ける



ひどく広大な海を 胸の中に閉じ込めていた
あたたかな しかし寄る辺のない海である 

僕は無目的に浮かび 泳ぎ回った 

チャプチャプと体にまとわりつく波の音を儚み
かがやく魚の群れを探し
暁から満天の星空まで…  

長い長い時間がたち ふと気がつくと
僕は自分の肩の上に 奇怪な者たちを見た

たくさんの小さな生き物が 無数に息づき
話し合い 蠢いている 

時にはその小さな生き物たちは
平たい「へら」のようなもので僕の肩をつつき
何かを掘りかえしているようだった

そのたびに僕は 力を奪われ 疲れた

僕の体はもう 僕だけの物ではなかった
いつの間にか僕は 苔や 植物や
それを食べる生き物たちを 僕の体で養い
時にはその 生き物たちの争いを治め 
郷愁までをも請け負いながら 大きな海を航海する船になっていた 

この生き物たちは 何のために僕の背に息づいているのか
どこへと向かっているのか
この広大な海で 僕は陸地というものを見たことがない
小さな岩礁さえも

過去の 温かい海の輝きと
杳(よう)として知れない 生き物たちの未来の間で
一つの目的が 僕の頭のなかに浮かび上がる

この生き物たちのための陸地を探さなければならないのではないか

それは波に揉まれては消え 力強く奮い立ち
またあたたかい波にさらわれる 

船は 新しい旅路を思い起こすには すでに苔むして 古びていた


舵を探せ

波の間に間に 大きな船が
豆粒ほどの 小人たちを乗せ
寄る辺なく 浮かび沈む

青い海風 そぞろに受けて
船の行方を 小人たちは知らぬ
浮雲の ひとつひとつ

にわかに黒い 大きな雲が
あたたかい波を 突き刺すように
漠々と スコールする

降る雨の音 甲板を打つ
その高い音に 小人たちは気づく
切れ切れの 船の言葉

広い海原 その悲しみは
きっと誰もが 微笑みの下に
縫い付けているものだと


なみきのみちは

並木の道は 夜に眠って
まだ消え残る 街の灯は
最後の列車 行ったあと
寒い夜空に にじんでる

母さんあの音 なんだろう
そうね あれは 海鳴りの音

明日は風が 強くなるでしょう
あったかい 靴下 おろそうね


気がつくと砂浜に立っていた
ひとりだった
からっぽの水差しのように

夕日が照っている
長い砂丘が続いている

僕は 巨大な水たまりを飛び越えたのだろうか
あの小人たちは…

陸に向かって すこし歩く
すると
遠くの 誰もいない砂の上に
小さな子どもが ひとり ぽつんと立っているように見える

誰もいないの?
お母さんは?

ザクザクと 砂に足を取られながら
僕は少し大股に 歩いた

近づくと それは 小さな花だった

巻き返すような 海風に ぱたぱたと揺れ
はにかむように また こちらを向く

波音を背に
僕は 僕の目は

この小さな花でいっぱいになった


グレートマザーの歌

揺れる花に 涙する
宇宙の 隅っこが
いつの間にか 星の
星のない夜に またたく

街の夜と 草原の朝が
宇宙を 切り裂く
小さな家族の ことば
星の数ほどの あいさつ

おーい 僕は母さんの名前を知る
おーい 大きな匂いの塊が 鼻の先を抜ける
おーい 空の風が逆にふく
風 風 風

浅い眠りの 木かげに
夢を見ていたの 母さん

2017年12月7日木曜日

秋の終わり


久しぶりに子どもとふたりだけで過ごす一日だった。

子どもが「はっぱのあめ」というので見ると、ケヤキの葉が風にたくさん舞っていた。
はっぱさんはどこに行くの?と聴くと、「うんちにいく」とのこと。

はっぱさん来年まで長いトイレね。

季節の変わり目を感じることが少なくなったと思う。

日中はまだほんのり暖かく、風にざわざわとゆれる木の葉の音は、最後の秋の音という感じだ。

2017年12月6日水曜日

昭和を探す旅


先日、金沢より昭和の歌唄い「みっちー」こと三井浩司郎さんが来静!

静岡の昭和を探す旅のお手伝いをさせてもらいました。

その日、僕が偶然お誘いを受けていた浅間通り商店街のコンサートの打ち上げでご紹介したら、すっかり皆様と打ち解けてしまい、朝市などに予定を合わすため、何と滞在を一日伸ばすという心意気。

静岡を気に入ってくれてうれしいです。

みっちーさんとは、僕がよくツアーで石川県に足を運んでいたころに出会った。

戦前の流行歌を専門にして、昭和風の挿絵画家や語り部という横顔もお持ちの、ある意味「総合芸術家」のようなミュージシャンだ。

僕は子どもが生まれてから、すっかり石川県から足が遠のいてしまっているが、また機会を作って行きたいな。


何気ない話の中で、僕達の静岡県郷土唱歌と、みっちーさんの昭和歌謡との共演コンサートも企画しましょう、というアイデアも出た。

実現すれば、きっと面白いコンサートになると思う。

2017年12月4日月曜日

県民性

ある県外のミュージシャン(男性)に、○○さんっておいくつなんですか?と聞くと、静岡の人ってよく年齢聞きますよね、と返ってきた。

えっ!?そう…?

意外だった。

どうやら他ではあまり聞かれないらしい。


静岡はわりと保守的な城下町だ。

人に年齢を聞くのは、上下関係を気にするデリケートな風土でのちょっとした処世術なのだろうか。

タメ口でいいのか敬語でいくか…、みたいなことをぐるぐる考えちゃう人も多いような気がする。


初対面で出身校をよく聞くのも静岡ならではだ。

はじめましての後に、どこ高ですか?などといきなり聞く(となりの清水は中学)。

ところが、別に学歴などを気にしているわけではない。

話題のきっかけにしたいのだ。


静岡人はシャイだ。シャイなくせに、ずけずけと年齢や学歴を聞く。

それがまた親しみ深く、面白いなあと思う。


僕は、そのミュージシャンの見た目があまりに年齢不詳だったので、素朴なギモンとして聞いてしまったのだが、実はめったに歳は聞かないほうだ。

名前も聞かないことが多い。

初対面のラスタマンに「お名前は?」と聞いて、「名前なんてどうでもいいんだけどな…。」と言われ(名乗ってくれたけど)、若干カチンときつつも、まあその通りだよな、と思った記憶がちょっと影響している。

2017年12月2日土曜日

両立

イチョウの木が、黄色く燃えて鮮烈な光を放っていた。

深い秋も初冬に変わりつつある。

意外にもライブ・コンサート形式の演奏は、今年は11月で終わってしまった。

今ふとそれに気がついて拍子抜けしているが、今年の後半は特に忙しかったので、いい心の休養になると思う。

かといって暇なわけではなく、コンテンポラリーダンスのパレードの音楽を考えたり、来年に向けて頼まれた作曲をこなしたりと、課題は結構あるのだ。

ライブに対する心構えと、作曲に対する心構えを両立させるのはなかなか難しい。

言葉ではうまく言えないが、頭のなかで開く場所が違うという感じだ。
どちらかを考えていると、どちらかが疎かになってしまう。

ゆっくり一つのことに没頭できるのいうのは、ありがた~い、と思うのであった。


なんでもかんでも両立は難しい。

仕事と音楽、音楽と家事、家事と子育て。

仕事中に妙によい曲作りのアイデアが浮かぶが、うちに帰るとくたびれて寝てしまう。
仕事帰りのバイクで、急に仕事のアイデアが浮かぶが、翌日出社するとなぜかやる気が無くなる。
やることがたくさん残っているのに、「オレ今日ご飯作ろうか?」などと言ってしまう。

その時、そのことをやる、というのがなんでこんなに難しいのだろう。

パソコンに向かっていると、子どもがちらちらやってきて、勝手に笛を吹いたり太鼓を叩いたり、絵本を持ってきて読んでくれとせがんだり、どんちゃんどんちゃん邪魔をするが、またそれに癒やされながら、頑張れるのである。