2017年6月23日金曜日

上手さとは

音楽の「上手さ」とは何だろうとよく考える。

あいつは上手いだけで個性がないね、などといわれて、上手い人は嫌われることすらある。

やっぱりそれは本当の上手さじゃなくて、ただ単に指が早く動くとか、たくさんの曲やフレーズを知っているとか、リズムや音程が正確だというだけなんだろう。

どこまで行っても全体的なことじゃないのだ。

僕はブラジルの音楽が好きで、聴いていると、何となく上手さということのヒントをもらえるような気がする。

歌の音程が甘かったり、リズムがガタガタしていたり、そんな音が恥ずかしげもなく陳列されているのに、名盤として讃えられていたりする。

(それは分析的に聴くと…の話であって、ブラジルの音楽家って全然下手くそじゃないんだよ。実際は上手くないとできない音楽。誤解のないよう。これは、商業音楽以前のワールド・ミュージック《もちろん日本の音楽も含めて》にも言えるんだが、商業音楽に片足を突っ込んでいてもなお、何かが残っているのがブラジルと僕は勝手に思っている。)

でも、聴いているとそんなことは気にならなくなって、圧倒的な雰囲気に飲み込まれて陶酔してしまう。

僕の好きなこの曲もそうだ。

Artur Verocai - Caboclo
https://www.youtube.com/watch?v=ZnC-XX70XWw

よく聴くと歌なんか音程もフラットしてるし、ギターもチューニング狂ってんの?っていうぐらいなのに、なぜか逆にそれが気持ちいいとすら思える。

涙が出そうなぐらいにかっこいい。

この圧倒的な存在感は何だろう。

そこに本当の上手さの秘訣があるような気がする。

2017年6月21日水曜日

おとぎ話ツアーatスノドカフェ


NolenNiu-de-Ossiとの「おとぎ話」はどうも本当に長い話になっていきそうで、自分でも予測不可能で非常に楽しんでいる。

6月のおとぎ話ツアー、スノドカフェ七間町に来てくださった皆様、ありがとうございました。

回を重ねるごとに濃厚になっていく、という表現は自己満足的に軽々しく使われる場合があるが、なかなか、本当に濃厚になっている実感のある、この企画なのです。

今回は、完全に生音のライブであった。

僕は、生音のライブが好きだ。

(音響を否定しているわけではないですよ。上手な音響に恵まれたときの心地良さは、また至福。)

デオッシの音楽も、やっぱり音響を通さない生の音で聴くときが一番感動する。
今回のステージは、僕が今まで見た中では一番好きだったかもしれない。

楽器と声とのバランスが取りにくく、小さい音はより繊細に、力強い音は生々しく響く。

機械を使って増幅したときとは、また違った何かを音に乗せていかないと、ただ音が小さいだけ、になってしまう。

音響有りよりも、生でやるときのほうが何かを加えなければいけない…、という。
いや、というよりは、もともと演奏の中に有るべきものを、音響を使うときには引かなければならない、ということ。

ここがおもしろいところ。

で、そのもともと有るべきものってなに?というのは、非常に感覚的なもので、うまく文章にはできないのでございます。


オンコールで急きょ、デオッシのオリジナル「決めた」を3人で一緒に演奏した。
とても深くていい曲。

NolenNiu-de-Ossi 『決めた』
https://www.youtube.com/watch?v=bTDk99HTM7U

うちの妻と子どももプロモのどこかにいるよ。


次回は我らがホーム、UHUにて。

7月8日の夜です。
ぜひチェックしてくださいね!

2017年6月14日水曜日

分断

自閉症などの障がいを持った人たちが、音や光や、“普段と違うこと”や、まわりの変化に非常に敏感なのは、科学的に意味があって、彼らは、本来的な人間存在の中では、人間のコミュニティが自然や人間以外の環境とどう付き合っていくか、を敏感に察知していくためのアンテナのような役割を持っていたのだ、という。

逆に、いわゆる健常者(と自分で勝手に言っているボクたち)は、どのように効率的に社会を回してゆくのか、を考える役割に特化している人たちなのだ。

今はなぜか、後者の力が強くなってしまって、本来ちゃんとした役割を持っていた人たちに「障がい」というレッテルを貼っているのだ。

…という研究がなされているという記事を読んだ。

なるほど、言い得て妙だなと思う。

「あのさー、環境のこととか、平和についてとか、一度でも考えたことあるの?」と質したくなる人は確かにいる。

先の話でいけば、そういう人は、自分に与えられた社会を回していくことに特化しているだけなのだということになる。


ここからは自分の推測の話だが、例えば、

①環境からのメッセージを察知する人→②受け取ってシステムを作る人→④できたものを効率よく回す人→⑤結果を分析し後に伝える人

こんな役割が考えられる。

これが分断されて、お互いが理解できず蔑んでいるのが今の社会ではないだろうか。


そうやって考えると本来はもう一役、その違いをつなげていくための潤滑油のような役割をもった人が存在したはずだ。

「→」のところに存在する人たち。

それは、「本来の」音楽家とか芸術家などという人たちではないだろうか。

または人ではなく、それは「本来の」宗教や、信仰といったものではないだろうか。

だから!わたくしたちが頑張らねば、という話に持っていくのは、こじつけだと思って黙っているわけである。

しかし、あくまで「本来の」というところは強調したいポイントである。

2017年6月10日土曜日

別々の記憶

特定の人種や思想を持った人を、差別したり、意味なく嫌ったりすることはいけない、と思う。

言うまでもなく当然のことだが。

ところが差別の種はそこかしこに潜んでいる。

昨今ニュースを賑わせた、障がい者施設などで起こる虐待もその片鱗だろう。

理解しがたいものを、自分の価値観を超えたところで想像力を働かせ、受け入れる。
または、こうあるべきだ、という手放しがたい自分の物差しを、手放す。

そういうことができる人は非常に少ない。

自分もできない場合のほうが多い。

もちろん僕は障がいを持った人に手を上げたことはないし、これからも決してしないだろう(口喧嘩は時々するけど…)。

しかし同じ福祉職員として、虐待に加担する人の気持ちは常に、疲労や不理解の裏、紙一重のところにある、と感じる瞬間がある。

これが恐ろしい。

そして、優位な、ある立場に回った者は、タガが外れるととことんやってしまうのだ。
しかも、それを間違っていると思えなくなってしまう。


ところで、僕には韓国人の親友がいる。

本当にやさしい人で、しかもユーモアがあり、彼以上の紳士を僕は日本人の中に知らない、というぐらいだ。

旅行がてら、韓国の彼の実家に遊びに行ったことがあった。

彼のお父さんは(今はもう亡くなったが)、流暢な日本語で僕を迎えてくれた。

どうしてそんなに日本語がお上手なんですか?とうっかり聞いてしまって、あっ、と返事が来る前に後悔したのだが、息子である彼は、「お前らが支配してたからだろうがよー。」と笑いながら言った。

彼のお父さんも別段怒ってもいなかったが、本当に申し訳なく思った。

当時はきっと辛い思いもされたことだろう。


これは、教科書が正しいかとか事実がどうかとか、そういう問題ではないんだ。

彼らには彼らの記憶があり、またその生活の中で違った面から日本という国を見ている。
その物差しを僕が持っていないだけだ。

的外れかもしれないが、今、日本だけでなく、横暴な右寄りの政治を推し進めているのは、どこか心に差別心を持つ人たちの力によるところは大きいだろうと思う。

その世界に知り合いもおらず、ニュースや、正しいかどうかもわからない知識だけで、あいつらは!と曰う人の浅はかさである。

彼に出会う前は、自分にも少しそういうところがあったかもしれない。

もちろん、政治のやり方として、個人のあり方として、悪いところは悪い!と言わなければならないこともある。

誰かが書き間違えた本を読んだまま、終生理解し合えない人もきっといるだろう。

ところが、転んではいけない側が確かに存在する。
先に転ぶのは常に「ある立場に回った者」達なんだと思う。

そして、仲間たちの日常の疲労や他の世界に対する不理解の裏に、すっと甘い言葉を差し込んで、味方にしてしまう。

しかも、それを間違っていると思えなくなってしまうんだ。

2017年6月6日火曜日

藪の中

すっかり夏めいてきて、少し歩いた川沿いでは、ホタルが少し切なげに夜を漂っている。

立葵の花が咲くと、ああ、また一年がたったなと思う。

自分としてはなぜか季節の移り変わりを感じる花だ。


今日は国会中継を見ていた。

本当に、つくづく、これからの日本はどうなってゆくんだろうと思う。

もちろん今に始まったことではないが、少なくとも安心してはいられない時代だ。
しかし、「安心して」人々が暮らしていた時代などなかっただろう、とも思う。


どちらかが嘘をついている。

最近そんなニュースばかりだ。

または両方とも嘘か、ウソとホントが入り混じってめちゃめちゃになっているか。
まさに「藪の中」である。


身近でも似たようなことがあった。

-こう言ってたらしいね?

-いや、言ってないですよ。

-でも〇〇が△△だって君が言ってたと、Aさんから聞いたよ。

-いや、〇〇って単語すら使ってないと思います。

-え?そうなの?

-□□が☓☓とは言ったかもしれないけど。

-うーん。

たかが友人同士の会話で、薮に入ってしまうのだから、たくさんの組織が入り混じっていればなおさら、である。


しかし、本当に信じるべきは何だろう、と思う。


本当であるか、嘘であるか、そんな無味乾燥なことが問題なのではない。

大事なのはムードなんだ。

最後には悪いやつらは改心し、愛する二人は無事添い遂げるという物語のムード。

どんな物語も、数が多い方がムーディだったことは一度もないのだった。


ぜんぜん真面目な話じゃなくなっちゃった。

ごめんなさい。

きれいごとでうまくいくなら誰も苦労はしないよね。
でもさ、きれいな世の中であって欲しいと切に思うよな。

2017年5月21日日曜日

東壽院ライブ

NolenNiu-de-Ossi&丸山研二郎 おとぎ話ツアー2017

東壽院さんでの公演が無事に終了いたしました。

まずは、急にも関わらず、会場の手配に音響にとご尽力して下さったトラディッショナル・サウンドの堀池さん、快く受け入れて下さった東壽院ご住職始め、寺内の方々、遠方から駆けつけて下さったお客様、ボランティアで受付を買って出て下さった俳優の関根さん、本当にありがとうございました。

他にも「うちで演っていいよ」とか「会場紹介するよ」などと、何人かの方に温かい声をかけていただきました。

仲間のありがたさを改めて感じた今回でありました。


さてさて僕達、丸山研二郎&原口朋丈は、今回の練習+公演を通じて一歩深まったように感じた。

アレンジに関して原口くんともいい話ができた。
和太鼓とギターをどのように組み合わせるかについて、小さくて大きな手がかりを得たような気がするのだ。

それは技術的なこと(ここは秘伝のタレと同じで企業秘密ね)でもあったが、精神的なことでもあった。

和楽器と洋楽器は、ある意味でぜ~んぜん合わない。

楽器の音や、それが組み合わさった曲の、良さに対する考え方がそもそも違う。

どちらかが活きると、どちらかの良さが失われてしまう。

一見合っていると思うのは、ただ音階や音のタイミングが合っているだけで、本当にその楽器同士が合奏しなきゃいけないのか、と問われると、どうかな?と思うものも多い。

ではなぜ挑戦するのかというと、和楽器奏者・原口朋丈氏が、素晴らしいミュージシャンである以前に、安心して心を委ねられる友人だからだ。

その友人が、偶然に和楽器を演奏していただけの話だったんだ。

今まで妙に、音楽的にダサくない新しいコラボレーションの形を模索しようと、考えすぎていたかもしれない。

無理に利益を失ってまで合わせる必要はないし、時には我慢も必要だ。そして出る時は存分に出る。相手が出る時は相手を立てる。

それがいい音楽を作る素だった。

そして、友情を持ってお互いの音を信頼し、尊重していくことが、楽器や音楽性の違いを乗り越えてゆく唯一の方法だったのじゃないか。

そんなシンプルなことに気がつくのに何年もかかる。

やーい、って思うでしょ?

実際やってみ。大体自分のことで精一杯になっちゃうんだから。


デ・オッシの2人は、相変わらず素晴らしいステージだった。

彼らも、楽器に関しては僕らと同じ側面を持ったユニットだ。

きっと僕がやっと気がついたようなことは、とうに乗り越えているだろうけれど、だからこそ、その音楽が唯一無二の魅力を持って、常に新しく語りかけてくれるんだろうなと思う。

それに、何か2人に会うと妙に安心するんだよね。

この2組はずっと続けたいな。


次回、2公演もお楽しみに!

さらに磨きをかけて頑張ります。


■6月16日(金)
スノドカフェ七間町
出演
NolenNiu-de-Ossi(ノレンニゥー・デ・オッシ)
丸山研二郎(ソロ)

OPEN 18:30 START 19:30
入場料¥2000 + 1ドリンクオーダー

スノドカフェ七間町
静岡市葵区七間町7-8
TEL 054-260-6173
http://www.sndcafe.net/sc7.html


■7月8日(土)
LIVEHOUSE UHU
出演
丸山研二郎&原口朋丈
NolenNiu-de-Ossi(ノレンニゥー・デ・オッシ)

OPEN 18:00 START 19:00
入場料¥2160 + 1ドリンクオーダー¥500

LIVEHOUSE UHU
静岡市葵区七間町9-10 ワイシーシー第ニビルB1
TEL 054-253-1418
http://livehouse-uhu.com/

2017年5月20日土曜日

若干の疲れ

たまにイベントなどで頼まれて歌ったりするので、職場にはミニギターを持って行って置いてある。

今日は妙にくたびれてしまったので、ふと思いついてギターを取って5分ほど弾いていると、すーっと疲れがほどけた。

やっぱり音楽には癒やしの力があるんだなと改めて思う。

何の曲を弾いたかって?

バッハ。

うわー、きざったらしくて、はずかしー。

2017年5月9日火曜日

了善寺~東壽院

東海道音楽祭・了善寺コンサートは、なんと100人超えのお客様にご来場頂きました。

2時間にも及ぶ演目で、出入り自由にも関わらず、多くの方が最後まで聴いて下さいました。

とても嬉しい反面、もっともっと精進しなくちゃ、とも思うのです。

来てくださった皆様、了善寺の皆様、ありがとうございました!

帰路。

突然の雷雨が、ざーざーとやってきて、ふと見ると素晴らしい二重の虹が。
見とれちゃって、写真はありません。

夕立の後の空気はとても爽やかで、何やら、とても楽しかった一日でありました。



そして、「NolenNiu-de-Ossi&丸山研二郎 おとぎ話ツアー」で演奏をさせてもらう予定であった、このみる劇場の突然の閉館から一転、5月20日の会場は、清水区は但沼の「東壽院」さんに決定いたしました。

さらに、僕の出番はソロではなく和楽器奏者・原口朋丈氏とのデュオで。



詳細はコンサートのページを御覧ください。
http://kenjiromaruyama.blogspot.jp/p/concerts.html

このみる劇場の閉館について、まだ詳しい情報は上がっていませんが、一刻も早く新しいよい場所が見つかり、再スタートできることを祈っております。

2017年4月17日月曜日

清水綺譚

清水にて2本演奏をさせていただきました。

来てくださった皆様ありがとうございました。

まずは、zilL&丸山研二郎のクレイファクトリー・ライブ。

ジルくんとご一緒させてもらうのは何年ぶりだろうか。

彼のステージは「相変わらず」だった(笑)。
いい意味でね。

お客さんがもういるのに、でっかい声で発声練習してるし。

急にセットリストを変更したり、今日作った、という未完成な曲をいきなり演っちゃって危なっかしかったり…、奇想天外だが、その底抜けのあたたかいキャラクターに、残らずみんなニコニコと笑顔になって帰っていく。

もちろん、とてもきれいなメロディで、明るく勇気づけてくれる曲たちがあってこそ。

ジルくんが「自分のカフェライブの原点だ。」というクレイファクトリーのすばらしい雰囲気も助けて、笑いあふれる楽しいライブになったようです。

偶然来ていたミュージシャンのZANちゃんが、椅子を叩いて乱入するハプニングも有。
楽しかった。


もう一つは、クローバー・カフェにてソロのライブ。

こちらは21:00からライブ開始と、始まる時間が遅い。
でも、店内にはゆったりとした時間が流れていて、非常に心地よく過ごすことができる。

不思議な空間だな、と思う。

その空間のせいか、いつも自分の感情と妙に向き合うことができるステージになる。

お客さんは皆あたたかく聴いて下さるので語弊はあるが、なぜか程よい孤独感があって、まるで自分だけぽつんと離れて演奏しているような、そんな奇妙な感じにとらわれることがある。

うまく表現できないけれど、緊張もしなければ舞い上がりもしない…、というか。

フラットである、というか。


朴訥だけど優しいマスターも本当にいい感じだ。

自家製野菜はハッとするほど美味しいし、超個性的なお店である。

ここ最近、清水で演奏させていただくことが多い。
特に選んでいるわけではなく偶然だけど。

清水銀座は閑散としている。

数十年前は飲み屋街はすれ違うのも大変だった、と誰かに聞いたが嘘みたいだ。

でも、一軒一軒のお店が非常に個性的で面白い。
飲みに行こうかな、と思うと、あ、清水がいいかなと思う今日このごろ。


日がな桜の下に寝転んで、ずっと満開の花を眺めていたいと思う。

毎年そう思う。しかしそんな暇はどこにもなく、空想に終わってしまう。

時間は作ればないことはないんだけど、今は子どもをほっぽらかして一人でごろごろできない、と思う。
じゃあ子どもがいなかったころはどうかというと、仕事が忙しいからとむりだと思っていた。

仕事が忙しくなかったころはどうだったかというと、桜の下に一日居たいなんて考えもしなかった。

何においてもそんな感じである。

人生はあっという間かも知れない。

2017年4月7日金曜日

リハーサル開始

「静岡県郷土唱歌」の前半の譜面が完成し、リハーサルが始まった。

ほとんど意識はしていないのだが、僕のアレンジは妙にクラシックっぽくなるらしく、依頼主のT2オーディオ・坪井さん曰く「室内楽」的な感じだそうだ。

空の灯音楽隊のメンバーを中心に、今回はヴァイオリニスト・丸尾あみ子さんにも参加してもらっている。

そのヴァイオリンの響きが、そんな印象をさらに深めているのかもしれないが、そこに、和太鼓・パーカッションやジャズ・ベースが加わり、ピアノが入り、シンガーソングライター的なボーカルが入ると、空の灯音楽隊のサウンドになる。


このように書くと、発想だけのごちゃまぜ音楽のようだ。

でも、なぜかきちんと音楽は1つの方向に向かっていく(ように僕は勝手に思っている)。

メンバーのみんなが共通して、譜面では伝わらない何かを即座に汲んでくれるのだ。
自分が、意外な音に対して寛容すぎるっていう説もあるんだけど。


ふとした口約束から始まったこの録音。

思った以上に面白い音源になりそうな予感がしている。

後半の方のアレンジも只今猛烈に進行中です。

いろんな仕事の合間にかなりのスピードで行っているので、間違いも多い譜面を、また即座に指摘して一番いい感じに直してくれる、そんなメンバーのみんなに感謝。

2017年3月26日日曜日

おとぎ話ツアー~もでらあとライブ

 NolenNiu-de-Ossi&丸山研二郎
「おとぎ話ツアー2017」3月24~25日 お越しくださった皆様、そして静岡LIVEHOUSE UHUと御前崎クックハウス椿の皆様、ありがとうございました。 素晴らしい2つの会場で、自分たちも純粋に演奏を楽しむことができました。 これから5~7月の静岡市内3公演に向けて、とても幸先の良いスタートです。 詳細を決定したら、すぐにお知らせいたします。 きっと来てくださいね。



  
デ・オッシの音楽の詞をゆっくりと噛み締め、アレンジと音色にじっくり聴き惚れる2日間だった。

今までももちろん素晴らしいと思っていたが、もっと味わい方がわかってきた今日このごろだ。

「詩に酔う」とか「陶酔する」なんていう言い方あるが、文化として詩を嗜み、披露し、その言葉の響きを反芻し何度も噛み締めて、それぞれが自分の解釈を加えながら、味わってゆく。

そんな風に、何度も何度も聴くごとに感動が深まっていく音楽なんだな。

2日目、オープニング・アクト(O.Aには申し訳ないようなミュージシャンなのだが)として仲間であるピアニスト・よっぴーさんが出演してくれる予定だったが、諸事情により出演できなくなってしまった。

なので急きょ、よっぴーさんのバンドで歌う予定だったシンガー・柴田久美子さんが、僕の曲、デ・オッシの曲をカバーで1曲ずつ歌ってくれた。

とても嬉しかった。

しばくみさんまたやろうね~。


御前崎から静岡市内まで車で約2時間。

帰りは深夜。

ぼーっと車を走らせていると、いろいろとツアーに回っていた頃のことを思い出す。

何となくかけていたブッゲ・ヴィッセルトフトのピアノが妙に心を包んでくれた。

Bugge Wesseltoft - Singing
https://www.youtube.com/watch?v=k8-LInAV3pE



そして、本日はその興奮覚めやらぬなか、非常に疲れた体を引きずっての清水「もでらあと」のランチタイムコンサートでした。

共演のてづかあいさんとリハーサルを終えて、ぎりぎりに会場に着き、ドアを開けて、僕は目を疑った。

満席である。

あわててバタバタと準備をしたが、音響はトラブるし、あいさんの椅子はなぜか壊れるし、波乱含みのスタートであった。

でも、来てくださった皆様のあたたかさに疲れはふっ飛んで、最終的にはゆったりとした春のかおりをお届けできた、よいコンサートになったのではないかと思う。

ただ、ご予約がなく、入れずに遠慮してお帰りになったお客様もでてしまった。

ミュージシャンとしては満員御礼で嬉しいながら、せっかく楽しみにしてくれた方々に非常に申し訳なく思うことです。

これに懲りずに、またぜひお出かけくださいませ。


この3日間は、自分の心もほぐれたようないい3日間だった。

次回に向けて気持ち新たに頑張ります!

2017年3月20日月曜日

空の灯リリース記念ライブ


身に余るような素晴らしいステージで演奏をさせて頂いた、二日間のエマギャラリーライブ。

一日目は、ボーカルの加瀬澤彩友美(ノーザンスター)さんと。

二日目はソロでお送りしました。



ニマメ・キャンドルさんのキャンドルたちは、それだけでやさしい癒しの光を放っていた。

その沢山の光に助けられて、この二日間のライブは、より特別なものになったような気がします。

エマギャラリーさんの空間はとても気持ちがいい。

ギャラリーとしては勿論。

音の反響の仕方が何とも言えずまろやかで、音楽コンサートの会場としても、どんどんたくさんの方に知ってもらいたい場所です。

そんな話をしていたら、「丸山さんのために作ったんだよ。」とオーナーが冗談めいて言ってくださった。

その時は軽くお礼を言って流したが、じわじわと噛みしめると本当に光栄だ。
その分いい加減な演奏はできないと思う。

また素晴らしい企画が生まれますよう。

来てくださった皆様、エマギャラリーの皆様、ありがとうございました。


オーナーのお父様がライブに来てCDを買っていって下さった。
大変な趣味人だそうで、クルーザーを持っていて毎週のように釣りに出ているそうな。

音楽はというと、海の上で「鳥羽一郎」などを爆音でかけているらしい。

鳥羽一郎さんの合間に、空の灯音楽隊も爆音でかかることになろうか。

これもまた光栄のいたりである。

2017年3月19日日曜日

皆仲良くしようね

自分はかなり人の行動に対して寛容な方だと思う。

理不尽だと思うところがあっても、何かいいところを見つけるとすぐに許してしまう。

ところが、これはどうも許せない、というのがいくつかある。


1つは、コンビニなどで携帯で電話をしながら買い物するやつである。

これは結構許せん。

いや、罪を憎んで人を憎まず。「やつ」ではなくそういう行為だ。

どんな瞬間的な付き合いでも、かんたんなシステムのお店でも、他人に対する敬意を失ったら人間オシマイである。ちゃんとコミュニケーションしようぜ、と思う。


2つは、「八つ当たり」をするやつだ。

いや、「やつ」じゃなくてそういう行為だって。

当事者ではない他人を使ってストレス解消したりする。
これは結構自分もやってしまう。

結局、人のせいにして自分に向き合えないことは、本当に情けないと思う。


前者ともつながってくるが、最後には、「陰口」を叩くやつだ。

「やつ」じゃないってのに。

自分がうっかり会話の流れで調子に乗って、本人のいないところでその人の悪口を言ってしまった時には、あとで、顔が熱くなってきて足がすくんだり、ものすごくふわふわした嫌な気持ちになる。

そういうやつは…!

あ、陰口叩いてるのは俺か…。だから陰口はいけないのよ。

悪口は、仏教の教えでは殺人よりも罪が重いという。
結局、その言葉がもとで人に勘違いを引き起こし、暴力に発展してしまう可能性があるからだ。

「みなさん、その時のさびしさといったら私はとても口で言えません。みなさんおわかりですか。ドッと一緒に人をあざけり笑ってそれから俄かにしいんとなった時のこのさびしさです」

宮沢賢治 カイロ団長

2017年3月1日水曜日

キャビネットの音楽

YOUTUBEに「キャビネットの音楽」という曲集をUPしました。

ちょっと前の音源で、2009年のもの。

ある家具作家の展示の記録映像のために制作した曲のアウトテイクだ。

実際はこの倍ぐらい作曲して、結局なかなかいいものが決まらなかったが、最終的には映像を見ながらのエレキギター一本即興演奏が採用された。

僕は、静謐な映像の雰囲気に合わせて、非感情的な内容に収めようとしたんだけど、作家は「曲」ではなく感情そのものが欲しかったみたい。

で、実際それがよかったのだ。
アプローチが逆だったんだね。

とても深い勉強になった録音だった。

アウトテイクは、それはそれで気に入っているので、今更ながら、みなさんに聴いてもらおうと思ってUPしてみました。

ただし変わった音楽です。

2曲目は、実はアルバム「空の灯」のM1「もえたつもの」のモデルになりました。


キャビネットの音楽 2009年

1 intro
2 キャビネットの音楽Ⅰ
3 キャビネットの音楽Ⅱ
4 キャビネットの音楽Ⅲ
5 キャビネットの音楽Ⅳ
6 賛歌(instrumental)
7 Last

丸山研二郎 Gt.Pf.Key.quattro.Harp.Per.Voice


キャビネットとはなにかというと、その作家の作品のひとつに「海の色彩をもつキャビネット」というのがあった。

その名前があまりにかっこいいので「キャビネットの音楽」と題させていただきました。

2017年2月21日火曜日

ユニット名は…?

先日、「丸山研二郎&原口朋丈」で初めてLIVEHOUSE UHUの通常ブッキングライブに出演しました。

他の出演者を目当てに来たお客さんも、丁寧に僕達のライブを聴いてくださった。

皆様、ありがとうございました!

セットリストは、

1 大爆発の歌
2 Green Sleeves
3 河の水
4 宵山
5 マザー
6 しらさぎの歌
アンコール 枯葉

1、5は、ホームレス経験者のダンスグループ「ソケリッサ!」の公演のために作ったもの。

3、6は僕のオリジナルでソロでも歌っているものを、今回太鼓と篠笛と合奏できるように改造した。

4は原口くんのオリジナルで、普段は和太鼓と笛のみで演奏しているが、僕との時はギター+篠笛になる。夏のお祭り時期の情景を歌ったようなきれいな曲。


これから、段々と出演頻度を上げていきたいと思っている。

実は、原口くんが和楽器ユニットで親善大使として海外演奏に赴く前、僕たちは同じようにディオで演奏していた。

その時は、ふたりで「つきよたけ」という名前だったのだ。

つきよたけとは、夜中に光るあやしい毒きのこの名前である。

当時はちょっと毒っぽい音も出していたのかしら。

今は、「紅葉(もみじ)」などを演奏して二人で喜んでいるので、まあ毒とは縁遠いのだ。


いつからか、バンド名・ユニット名というのをつけなくなった。

アルバム・空の灯を録音したメンバーの「空の灯音楽隊」は久しぶりに名前を付けたのだが、これはいろんな表現者に出入りしてもらいたいと思って作った“部屋”の名前なので、このメンバーが全員揃わないといけない、というものではない。

じゃあ、二人でも空の灯音楽隊でいいんじゃないの…、と思うときもあるが、流石に二人は少ないでしょ。

何人から音楽隊と呼ぶのか、定款に定めなくては。そんなものはありません。

2017年2月13日月曜日

多数決

ドラッグストアに「ウエルシア」ってありますよね。

自分も周りの人も「ウェルシア(エが小さい)」と呼んでいる。

ある時、職場の、ちょっと頼りないというか、みんなにからかわれがちな男の子がいつも「ウエルシア(エが大きい)」と言っていたので、僕と何人かで「えー、ウェルシアだよね。読み方違ってるんじゃない?」とからかっていた。

その場にいる全員が「そう、ウェルシアだよ。」と同意していたので、彼も「そうか~、ウェル(エが小さい)だったんだね。」と納得していた。


しばらくして、用事でそのドラックストアに行き、店内放送のテーマソングみたいなのを聞いていると、なんと「みんなが集まるウエルシア~♪(エが大きい)」と言っているではないか。

なんということだ。

彼ひとりが正しかったのだ。

何となく職場の中で強い発言力がないというだけで、みんなに押し込められてしまった彼の正しさ。

きっと世の中はそんなことばかりなのだろう。

少数が力なく主張する正しい意見が、間違ったことを正しいと思い込んだ大衆にバカにされ、逆に間違ったこととして葬られていくのだ。

機会があったら、彼に謝らなくては。

ウエルシアのみなさん、変な話に使ってごめんねー。

2017年2月10日金曜日

編曲作業折り返し


静岡県郷土唱歌編曲。

やっと上巻14曲のアレンジを譜面に。

といっても、まずはこれをメンバーに見てもらい、その後、実際のアンサンブルでどうなるかを考えて行くわけだから、まだまだこれからだ。

下巻14曲はまだ手付かず。

大変だけど、編曲っていう作業は結構好きなんだな。

モチーフを引き立てるための絵画的な作業というのか、全体を空想していくというのか。

今晩のおいしい献立を考えるのにも、近いかもしれないね。


知らない間に子どもに落書きされたりしながらの、奮闘努力である。


ところで、この曲たちは戦前の静岡の情景を歌ったものだ。

郷愁を誘うような情景豊かな曲が多いが、中にはちょっとだけ、戦時中の兵隊さんや、体制についてうたった歌詞もある。

別に軍歌ではないし、戦争の良し悪しを明確にしたものではないので、そんなに深く気にするものでもないと思うが。

社会が何となく(部分的には強烈に)右傾化する今日このごろ。

何となくぎくしゃくと心に引っかかるニュースや情報とリンクする。

自分としては、古い地元の写真をめくっていくような気持ちで歌詞を読みながら、当時から脈々と続く、あるいは変化する景色と、人間の行いについて考えるきっかけになった。

結局、守らなければいけないものは、歌に描かれるような美しい自然と、こういった唱歌を朗らかに歌う子ども達だと思うのだ。

きざったらしいまとめ方でごめん。

2017年1月30日月曜日

謹慎中の話

インフルエンザにかかってしまい、自宅謹慎中である。

今日はもう大分よくなったので起きて何やらしているが、本人はよくても感染はするそうなので、仕事や人の集まるところには行けない。

いやはや、職場や、いろいろ約束をしていた方々にも迷惑をかけてしまい申し訳ないです。

皆様、体調にはお気をつけくださいね。


昨日一昨日は寝ているしかなかった。

寝ているしかないとなると、本を読むしかない。

かといって勉強するのもつらいので、物語ばかり読んでしまう。

「老人と海」ヘミングウェイ
「星の王子さま」サン=テグジュペリ
「小川未明童話集」小川未明

などというコテコテの名著ばかり読み直してしまったのだが、これが何と、不覚にもどれも涙腺に引っかかり、うるうるしながら過ごしていた。

面白いとは思っていたが、しばらくぶりに読んで、こんなに泣けるとは…(^^;)人間が変わったのかな~。



最近、大きな入所施設で、冬~春にかけて3~4ヶ月の間は外出してくれるな、と言われたという話を2件ほど聞いた。

1つは障がいの方、もうひとつはお年寄りの方で、違う施設である。

理由は、インフルエンザとノロ・ウイルスの感染を防ぐためだそうだ。

4ヶ月外出禁止!

え~、それって基本的人権に反してないか?と思う一方、確かに物凄い感染力は、体の弱い人にとっては命にも関わり兼ねないので、強引な予防線を張りたくなる施設側の気持ちもわからんでもない。

とはいえ、福祉の世界のルールって、自分も将来そこに入るかもしれないと、ほんとに考えて作ってんのかな、とよく思わされる今日このごろである。

2017年1月27日金曜日

味付け

子どもを育てていて、結構大きな変化だなあと思うことは、食事の味付けが薄くなったことだ。

離乳食が終わって大人と同じものを食べるようになると、一緒くたに子どもに合わせて作ってしまうので、それを食べ続けた結果、かなり薄味でも満足できるようになった。

今やほとんど、キッチンの塩のポットが減らないのだ。

実家も、自分で作る味付けも、わりと濃いほうだったんだけどね。


すると、些細な味付けにもとても敏感になった。

ちょっとした香辛料をすごく辛く感じたり、ファーストフードに舌がビリついたりする。


特に、妙に肉の臭みを感じるようになった。

「この肉古い?」

「ううん、今日買ったのだよ。」

というような会話がしょっちゅうである。


タバコもほぼ吸わなくなったし、コーヒー・酒などの量も大幅に減った。

そして今、かなり体の調子が良い。


ミュージシャンとしては、非常につまらない人間になってしまった…。



ところで、音楽ではどうか。

流行りの音楽は、コンプレッサーで音圧をねじ上げたり、複雑なアレンジを成立させるために、周波数を強引にいじったりして、かなりナチュラルではない音に仕上げられているものが多い。

歌詞も、何となく皆が思っていることを代弁すれば、名詞だともてはやされる。

それは食事で言えば、塩分やスパイス過多、化学調味料や、見た目を良くするための添加物などがたくさん入っている状態に近いのだと思う。

そして、まるでルーツ・ミュージックを丁寧に踏襲しているかのような防腐剤を噴霧してチェーン店の店頭に並べられる。


濃い味や添加物すべてが体に悪いわけではない。

過敏になって避けすぎるのもまたストレスの元だし、主張しすぎれば人間関係を悪化させたりもするものだ。

そもそも本当に体に悪いのかどうかも、意見が別れるところである。


でも、少し意識的に、もうちょっと自然な衝動で作られた音楽を聴くようにすると、耳が俄然冴えてきて、今までよりもずっと音楽が気持ちよく体に染み込んでいくんじゃないかな。

と思うのだ。


自然な音楽って何かって?

ジョン・ケージ 4分33秒 かなあ。

ごめんなさい、嘘です。


食事も音楽も、芸術の一部だと思うので、マーケティングの結果として利益のために製造された物しか選択できないのは、何にしろさびしいのだな。

2017年1月21日土曜日

編曲の妙

今、「静岡県郷土唱歌」という戦前の古い歌本の曲たちを編曲している。

やっとすべての楽譜からコードを起こして、デモを録音した。

いやー、時間がかかったけど、ここから編曲。

頑張るぞ。


1月~2月にかけてはライブも少ないので、集中してアレンジに取り組もうと思う。


古い曲をアレンジする時は、リズムやコードの解釈をどうするのかが、とても重要になってくる。

どんな曲でも重要だけど。

童謡や唱歌を無理にジャジーにしたり、無理やり6/8にしたり、妙にハネさせたりして、強引に今風にしようとしているのがあるが、かえってお年寄りは困ってしまうし、若い人は何だかよくわかってない、ということがよくある。

あんまり単純すぎても面白みがないし、かといって作者の思いや時代背景を軽んずるような独創的すぎるアレンジも個人的には好きになれない。

曲を知らない人にも染み込みつつ、年配の人たちにもノスタルジーを感じてもらえるようでなくてはならない。

その辺のさじ加減が難しい。


大体、ミュージシャン同士の会話でもそういう話はよくあるのだが、最終的には、

「結局さあ、かっこよくないと何やってもダメなんだよね。」

「そう、かっこよければいいんだよ。」

「うん…、かっこよければね。」

というところに行き着くのだ。

音楽家というのは、具体性のない生き物である。

2017年1月15日日曜日

演奏初め

さて、今年の初夢はというと…。

職場の建物が立ち退きになって、なぜかコンビニになってしまう、という、何だか妙に現実的な夢であった。

悪い夢は、逆にいいことの予兆だという。

無意識に心に悩んでいることもきっとあるのだよ~。


さて、今年最初のライブは、レストラン「もでらあと」にて。

ゆったりと演奏できました。

夜もいいけど、もでらあとは昼間の雰囲気もいいものです。天窓から見える青空に、何だか時間が止まったような、ノスタルジーを感じるのでした。

来てくださった皆様ありがとうございました。

マスター曰く、いつもさっと食べてさっと帰ってしまうお客さんが、コーヒーをもう一杯注文した、とのこと。

ミュージシャンとしてはうれしい。じわっと効いてくるお褒めの言葉である。

さあ、今年はどんなことが待っているのか。

もうすでに7月までライブが決まりつつあります。

ひとつひとつ丁寧にこなしていきたいものです。

2017年1月3日火曜日

謹賀新年


あけましておめでとうございます。

旧年中は皆様には大変お世話になりました。

本年も、変わらぬご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。


今年は…、

「遊ぶように働き、働くように折り目正しい生活をする」

という目標を立てました。


新年早々真面目…、とバカにしないように。

お正月ぐらい自分のことを真面目に考えるもんです。


厳しく評価すれば、

もともと忙しかった生活がさらに忙しくなり、仕事が手につかず、そのことで焦って、逆に安心して生活が送れない、という悪循環な昨年でありました。

仕事にも遊びにもエネルギー・ロスが多く、どっち付かずなのはいかん!と思ったのであります。

忘れ物が多くなったり、人付き合いが犠牲になったりして、頑張りが周りには理解されないし、結果、損するのは自分なのだよね。


というわけで、堅苦しく仕事せずに、たのし~いことを考えてどんどんやっちゃいましょう!

休むときはきちんとけじめを付けて休みましょう。

というようなことでございます。


社会経験豊富な諸先輩方には、今更何を、と言われそうですが。


今年は、新しい発想のライブや、アルバム作品にも幾つか着手できそうです。

今まで以上に垣根を崩す方向で進めていきたいです。


もちろん、辛いこと、うまくいかないことは多々あるのだと思う。

でもそれを考え方一つで、楽しみに変えたり、またはきちんと腹に据えて、さらに力強い形で表現したりできる強かさを…、いやいや、ひょうきんさというべきか、そんなものを持ちたいと思う今日このごろであります。

video

新春の演奏初めは、「さくら」から。

楽器は、以前お土産に貰ったカザフスタンの「ドンブラ」という楽器…、のほんとにお土産っぽいやつです。

以上のようなコンセプトに合う演奏になったかどうか。


改めまして、2017年も丸山研二郎及び、その大切な音楽仲間たち、そして我が大切な家族ともども、どうぞよろしくお願いいたします。