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謹慎中の話

インフルエンザにかかってしまい、自宅謹慎中である。 今日はもう大分よくなったので起きて何やらしているが、本人はよくても感染はするそうなので、仕事や人の集まるところには行けない。 いやはや、職場や、いろいろ約束をしていた方々にも迷惑をかけてしまい申し訳ないです。 皆様、体調にはお気をつけくださいね。 昨日一昨日は寝ているしかなかった。 寝ているしかないとなると、本を読むしかない。 かといって勉強するのもつらいので、物語ばかり読んでしまう。 「老人と海」ヘミングウェイ 「星の王子さま」サン=テグジュペリ 「小川未明童話集」小川未明 などというコテコテの名著ばかり読み直してしまったのだが、これが何と、不覚にもどれも涙腺に引っかかり、うるうるしながら過ごしていた。 面白いとは思っていたが、しばらくぶりに読んで、こんなに泣けるとは…(^^;)人間が変わったのかな~。 最近、大きな入所施設で、冬~春にかけて3~4ヶ月の間は外出してくれるな、と言われたという話を2件ほど聞いた。 1つは障がいの方、もうひとつはお年寄りの方で、違う施設である。 理由は、インフルエンザとノロ・ウイルスの感染を防ぐためだそうだ。 4ヶ月外出禁止! え~、それって基本的人権に反してないか?と思う一方、確かに物凄い感染力は、体の弱い人にとっては命にも関わり兼ねないので、強引な予防線を張りたくなる施設側の気持ちもわからんでもない。 とはいえ、福祉の世界のルールって、自分も将来そこに入るかもしれないと、ほんとに考えて作ってんのかな、とよく思わされる今日このごろである。

味付け

子どもを育てていて、結構大きな変化だなあと思うことは、食事の味付けが薄くなったことだ。 離乳食が終わって大人と同じものを食べるようになると、一緒くたに子どもに合わせて作ってしまうので、それを食べ続けた結果、かなり薄味でも満足できるようになった。 今やほとんど、キッチンの塩のポットが減らないのだ。 実家も、自分で作る味付けも、わりと濃いほうだったんだけどね。 すると、些細な味付けにもとても敏感になった。 ちょっとした香辛料をすごく辛く感じたり、ファーストフードに舌がビリついたりする。 特に、妙に肉の臭みを感じるようになった。 「この肉古い?」 「ううん、今日買ったのだよ。」 というような会話がしょっちゅうである。 タバコもほぼ吸わなくなったし、コーヒー・酒などの量も大幅に減った。 そして今、かなり体の調子が良い。 ミュージシャンとしては、非常につまらない人間になってしまった…。 ところで、音楽ではどうか。 流行りの音楽は、コンプレッサーで音圧をねじ上げたり、複雑なアレンジを成立させるために、周波数を強引にいじったりして、かなりナチュラルではない音に仕上げられているものが多い。 歌詞も、何となく皆が思っていることを代弁すれば、名詞だともてはやされる。 それは食事で言えば、塩分やスパイス過多、化学調味料や、見た目を良くするための添加物などがたくさん入っている状態に近いのだと思う。 そして、まるでルーツ・ミュージックを丁寧に踏襲しているかのような防腐剤を噴霧してチェーン店の店頭に並べられる。 濃い味や添加物すべてが体に悪いわけではない。 過敏になって避けすぎるのもまたストレスの元だし、主張しすぎれば人間関係を悪化させたりもするものだ。 そもそも本当に体に悪いのかどうかも、意見が別れるところである。 でも、少し意識的に、もうちょっと自然な衝動で作られた音楽を聴くようにすると、耳が俄然冴えてきて、今までよりもずっと音楽が気持ちよく体に染み込んでいくんじゃないかな。 と思うのだ。 自然な音楽って何かって? ジョン・ケージ 4分33秒 かなあ。 ごめんなさい、嘘です。 食事も音楽も、芸術の一部だと思うので、マーケティングの結果として利益のために製造された物し

編曲の妙

今、「静岡県郷土唱歌」という戦前の古い歌本の曲たちを編曲している。 やっとすべての楽譜からコードを起こして、デモを録音した。 いやー、時間がかかったけど、ここから編曲。 頑張るぞ。 1月~2月にかけてはライブも少ないので、集中してアレンジに取り組もうと思う。 古い曲をアレンジする時は、リズムやコードの解釈をどうするのかが、とても重要になってくる。 どんな曲でも重要だけど。 童謡や唱歌を無理にジャジーにしたり、無理やり6/8にしたり、妙にハネさせたりして、強引に今風にしようとしているのがあるが、かえってお年寄りは困ってしまうし、若い人は何だかよくわかってない、ということがよくある。 あんまり単純すぎても面白みがないし、かといって作者の思いや時代背景を軽んずるような独創的すぎるアレンジも個人的には好きになれない。 曲を知らない人にも染み込みつつ、年配の人たちにもノスタルジーを感じてもらえるようでなくてはならない。 その辺のさじ加減が難しい。 大体、ミュージシャン同士の会話でもそういう話はよくあるのだが、最終的には、 「結局さあ、かっこよくないと何やってもダメなんだよね。」 「そう、かっこよければいいんだよ。」 「うん…、かっこよければね。」 というところに行き着くのだ。 音楽家というのは、具体性のない生き物である。

演奏初め

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さて、今年の初夢はというと…。 職場の建物が立ち退きになって、なぜかコンビニになってしまう、という、何だか妙に現実的な夢であった。 悪い夢は、逆にいいことの予兆だという。 無意識に心に悩んでいることもきっとあるのだよ~。 さて、今年最初のライブは、レストラン「もでらあと」にて。 ゆったりと演奏できました。 夜もいいけど、もでらあとは昼間の雰囲気もいいものです。天窓から見える青空に、何だか時間が止まったような、ノスタルジーを感じるのでした。 来てくださった皆様ありがとうございました。 マスター曰く、いつもさっと食べてさっと帰ってしまうお客さんが、コーヒーをもう一杯注文した、とのこと。 ミュージシャンとしてはうれしい。じわっと効いてくるお褒めの言葉である。 さあ、今年はどんなことが待っているのか。 もうすでに7月までライブが決まりつつあります。 ひとつひとつ丁寧にこなしていきたいものです。

謹賀新年

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あけましておめでとうございます。 旧年中は皆様には大変お世話になりました。 本年も、変わらぬご贔屓のほど、よろしくお願いいたします。 今年は…、 「遊ぶように働き、働くように折り目正しい生活をする」 という目標を立てました。 新年早々真面目…、とバカにしないように。 お正月ぐらい自分のことを真面目に考えるもんです。 厳しく評価すれば、 もともと忙しかった生活がさらに忙しくなり、仕事が手につかず、そのことで焦って、逆に安心して生活が送れない、という悪循環な昨年でありました。 仕事にも遊びにもエネルギー・ロスが多く、どっち付かずなのはいかん!と思ったのであります。 忘れ物が多くなったり、人付き合いが犠牲になったりして、頑張りが周りには理解されないし、結果、損するのは自分なのだよね。 というわけで、堅苦しく仕事せずに、たのし~いことを考えてどんどんやっちゃいましょう! 休むときはきちんとけじめを付けて休みましょう。 というようなことでございます。 社会経験豊富な諸先輩方には、今更何を、と言われそうですが。 今年は、新しい発想のライブや、アルバム作品にも幾つか着手できそうです。 今まで以上に垣根を崩す方向で進めていきたいです。 もちろん、辛いこと、うまくいかないことは多々あるのだと思う。 でもそれを考え方一つで、楽しみに変えたり、またはきちんと腹に据えて、さらに力強い形で表現したりできる強かさを…、いやいや、ひょうきんさというべきか、そんなものを持ちたいと思う今日このごろであります。 新春の演奏初めは、「さくら」から。 楽器は、以前お土産に貰ったカザフスタンの「ドンブラ」という楽器…、のほんとにお土産っぽいやつです。 以上のようなコンセプトに合う演奏になったかどうか。 改めまして、2017年も丸山研二郎及び、その大切な音楽仲間たち、そして我が大切な家族ともども、どうぞよろしくお願いいたします。