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空の灯音楽隊LIVEVOL.2

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  空の灯音楽隊LIVEVOL.2に来てくださった皆様、そして関わってくださったスノドカフェ始め、音響、照明、記録映像、受付、販売等々のスタッフの皆様、ありがとうございました。 メンバー一同本当に感謝しております。 公演から2日たち、ちょいと頭も冷えてきました。 ソロとしても、バンド・空の灯音楽隊としてもまだまだ荒削りな音楽(やっきになって削りすぎて無くなっちゃったりして…)を、たくさんの方に協力していただき、あのように綺麗に飾り付けていただいたことは、とてもうれしく、これからも公私ともに頑張っていこうと強く思っているところであります。 何年も前のこと。 ある友人が、「研二郎の音楽は、まるで長い絵巻物を見ているようだね。」というようなことを言った。 生活の一場面や、または心象の世界から、いろいろな風景を切り取ってきたものが自分の曲だ(誰の曲もそうかもしれないけど)。 なので全部の曲はつながり合っていると思う。 2枚の写真があれば、その間には、写り込まなかった空間と時の流れが本来はあったように。 それはすごく個人的な空間・時間であり、わざわざ額に入れて人に見せるものではないかもしれない。 少し前。 また別の知人が、「作品の説明というのはするべきだと思う。」というようなことを言った。説明をする権利がある、って言ったんだったかな…。 作品とは別の言葉で、その良さを伝えることは悪いことではないと。 だって、普通の商品や工芸だってそうして初めて売れるわけだし、芸術だけそれが下世話に思われるのはおかしいだろうと。 確かに、と思った。 「この曲はこういう時に作って、こういうメッセージを持っています。こんな風な気持ちになってもらえたらうれしいです。では〇〇を聴いて下さい。」 というようなMCがあんまり好きではなかった。 それは歌で感じさせることじゃん、って何処かで思っていた。 でも、はっきり意味を伝えるからこそお客さんにその歌が染み込むんだな、と思い直した。 この2つの言葉の記憶がキッカケで、だったら、ひとつひとつの曲の解説も含めて、作品(絵巻物)にしてしまおうと思ったのが、昨年のLIVEVOL.1から始まったコンサートのテーマだった。 日本画の詞書(ことばがき)みたいなものですね。

インド人に道を尋ねると、全然検討ハズレの方向を教えたりする(そうでない人ももちろんいるが)。 当然、後になって、 おいおい、嘘つきやがって! と思う。 ところが、どうもそれは「嘘」ではないらしい。 あまりに心がホットなので、見ず知らずの異国の旅行者に対してかわいそうで、「知らない。」と言えないらしいのだ。 なので、当てずっぽうに答えてしまう。 やさしさの在り処、というのは難しい。 多くの人は、最初から「知らない。」と言ってあげたほうが親切だよ、と思うだろう。 わざわざ行った先で、違った、と気がついたときの徒労を考えれば当然だ。 でも、僕にはこのインド人の気持ちがなんとなく分かる。 さすがに当てずっぽうに道を教えたりはしないが、よかれと思ってしたことが的外れで、逆に悪く思われたりすることは誰しもあることだ。 この間、引っ越しを控えた知り合いから電話があった。 いろいろお世話になったお礼に贈り物を持って行きたいんだけど、たくさんあるので車で迎えに来てほしい…、とのこと。 あのね、お礼したいんだったら自分で持って来てくりょ!と僕は心のどこかで思うのであった。 でも逆に、そういうありがた迷惑や、盲目的な感じ、というのがもっと理解されるようになったらいいな、とも思うのだ。 それを、あなたほんとに感謝してるの!?こうあるべきじゃないの!とやっつけてしまったら、やさしさや思いやりなんていうのは、遠くの小さな的を正確に射抜くような、高度なテクニックになってしまうではないか。 結局迎えに行って、「お礼は自分で運べる分だけでいいですよ。」ってなことは一応言ったけど、きっと僕の的が狭かったんだな、と思って反省している。 練習に練習を重ねた形式的なやさしさはとても大切だが、後先考えない衝動的なやさしさも、僕は好きだ。 自分の「的」は広いほうが、人付き合いはもっとハッピーになりそうだ。 イラッとする場合もあるけど、それはどうやらお互い様なのね。

空の灯音楽隊 朗読部

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空の灯音楽隊LIVE Vol.2まで、あと一週間になりました。 本日は尊敬する俳優である「 布施安寿香 」さんと、朗読の稽古+打ち合わせ。 そんな時、いつもは屋内の場所を借りるんだけど、今回はふと思いつき公園の樹の下で練習。 さすが、としか言いようがないその声と間の使い方に感心しながら、とてもいい雰囲気で進みました。 安寿香さんが声に出してテキストを読み始め、ふと気がつくと、自分がもう物語の中にいることに気がつく。 外から言葉や意味を眺めているんじゃなくて、すでにその内側にすいこまれている…、という感じだ。 今回のお話は、大きく穏やかな海と、そこに浮かぶ一艘の船の物語。 「・・・子どもの頃 寝る前には 母親に物語をしてもらうのが好きだった どこにでもありふれた昔話だ 眠りに落ちる一瞬の間に 幼い子はたくさんの夢を見る 夜の闇の中に 草木や 子ども達の笑い声や 甘い飲み物や  鬼や異形の物怪や 涙や 火の粉が… ぐちゃぐちゃに溶けて 夜ごとにたまってゆく それは 底の見えない ひろいひろい水面 ・・・」 さて音楽とともに、どんなお話が生まれるのか、お楽しみに。 写真は、写真撮ってもいいですか?と安寿香さんに言われ、自撮り。 あんまり普段やらないな~。 数年前、韓国に旅行に行った時、みんな「自撮り棒」を持ってキャーキャー言いながら歩いてて、あんな恥ずかしいの日本では流行らんなあ、と思っていたら、その後急に流行した。 うーむ、わしズレてる? たまにはいいね。

やまぼうしライブ

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やまぼうしライブに来てくださった皆様、ありがとうございました。 やっぱりこの場所は特別。 お客様の一人が、 「まるちゃん、立派になって。森下さんが生きていたら喜んだわね。秘蔵っ子だったもんね。」 と。 フォークシンガーの故・森下よしひささんに誘われて、僕は初めてここにやって来たんだった。それが大学1年生の時だ。 それから十数年。 いやー、恩返しなどということには程遠いが、ぜめてよいミュージシャンであり、また娘の成長なども逐一報告したいと思うのであった。 もうすぐ20周年だって。 お祝いしないとね。