インド人に道を尋ねると、全然検討ハズレの方向を教えたりする(そうでない人ももちろんいるが)。

当然、後になって、

おいおい、嘘つきやがって!

と思う。

ところが、どうもそれは「嘘」ではないらしい。

あまりに心がホットなので、見ず知らずの異国の旅行者に対してかわいそうで、「知らない。」と言えないらしいのだ。
なので、当てずっぽうに答えてしまう。


やさしさの在り処、というのは難しい。

多くの人は、最初から「知らない。」と言ってあげたほうが親切だよ、と思うだろう。

わざわざ行った先で、違った、と気がついたときの徒労を考えれば当然だ。


でも、僕にはこのインド人の気持ちがなんとなく分かる。

さすがに当てずっぽうに道を教えたりはしないが、よかれと思ってしたことが的外れで、逆に悪く思われたりすることは誰しもあることだ。


この間、引っ越しを控えた知り合いから電話があった。

いろいろお世話になったお礼に贈り物を持って行きたいんだけど、たくさんあるので車で迎えに来てほしい…、とのこと。

あのね、お礼したいんだったら自分で持って来てくりょ!と僕は心のどこかで思うのであった。

でも逆に、そういうありがた迷惑や、盲目的な感じ、というのがもっと理解されるようになったらいいな、とも思うのだ。

それを、あなたほんとに感謝してるの!?こうあるべきじゃないの!とやっつけてしまったら、やさしさや思いやりなんていうのは、遠くの小さな的を正確に射抜くような、高度なテクニックになってしまうではないか。


結局迎えに行って、「お礼は自分で運べる分だけでいいですよ。」ってなことは一応言ったけど、きっと僕の的が狭かったんだな、と思って反省している。


練習に練習を重ねた形式的なやさしさはとても大切だが、後先考えない衝動的なやさしさも、僕は好きだ。

自分の「的」は広いほうが、人付き合いはもっとハッピーになりそうだ。

イラッとする場合もあるけど、それはどうやらお互い様なのね。

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