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12月, 2017の投稿を表示しています

LIVE Vol.2 朗読テキスト

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今年9月に行った空の灯音楽隊LIVE Vol.2では、SPAC俳優の布施安寿香さんとコラボレーションし、物語を下敷きにしながらの音楽コンサートを作りました。 その時のテキストを公開させていただこうと思います。 ライブ映像と合わせてご覧下さいませ。 LIVE Vol.2 前半 https://www.youtube.com/watch?v=jK8X5XihI8c LIVE Vol.2 後半 https://www.youtube.com/watch?v=BJYTpc1es4c 空の灯音楽隊 LIVE Vol.2 歌詞・朗読テキスト 丸山研二郎 中央に表示は歌詞 ① 大爆発の歌 揺れる炎の風 すえた影をふりまく もののけが湾を埋める 海の上のまっすぐな道 陽炎が 街を揺らす 太陽が爆発する もののけは 傘をさし 雲の影に 足をすくわれる 煙る爆発の後 すえた水色の雨 天の揺籃 静かに満ち 始まりは遠く 近しいところ 晴れやかに 伸びやかに遊び あっという間に 日は行ってしまう 夕まづめに まだ何か 優しい時間が残っているように思い 一日を振り返ってみるが 夕飯を食べ お風呂に入れば すぐに眠る時間がやってくる 子どもの頃 寝る前には 母親に物語をしてもらうのが好きだった  どこにでもありふれた昔話だ  むかし むかしあるところに…  眠りに落ちる一瞬の間に 幼い子はたくさんの夢を見る 夜の闇の中に 草木や 子ども達の笑い声や 甘い飲み物や  鬼や異形の物怪や 涙や 火の粉が… ぐちゃぐちゃに溶けて 夜ごとにたまってゆく それは 底の見えない ひろいひろい水面   ここちよい光を見つけ 春の風に舞い 苦境に祈り また 小さな恋の炎に身を焼くようになるころには その水たまり 広大な海の 繊細な成り立ちを 思い起こさずにはいられなくなる そして ぐるぐるとしためまいの中で 一杯一杯 その水をすくっては眺め すくっては眺め 思い出を探そうとするが 小さな器からは 透明なあたたかい水が こぼれ落ちるだけ 一

秋の終わり

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久しぶりに子どもとふたりだけで過ごす一日だった。 子どもが「はっぱのあめ」というので見ると、ケヤキの葉が風にたくさん舞っていた。 はっぱさんはどこに行くの?と聴くと、「うんちにいく」とのこと。 はっぱさん来年まで長いトイレね。 季節の変わり目を感じることが少なくなったと思う。 日中はまだほんのり暖かく、風にざわざわとゆれる木の葉の音は、最後の秋の音という感じだ。

昭和を探す旅

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先日、金沢より昭和の歌唄い「みっちー」こと三井浩司郎さんが来静! 静岡の昭和を探す旅のお手伝いをさせてもらいました。 その日、僕が偶然お誘いを受けていた浅間通り商店街のコンサートの打ち上げでご紹介したら、すっかり皆様と打ち解けてしまい、朝市などに予定を合わすため、何と滞在を一日伸ばすという心意気。 静岡を気に入ってくれてうれしいです。 みっちーさんとは、僕がよくツアーで石川県に足を運んでいたころに出会った。 戦前の流行歌を専門にして、昭和風の挿絵画家や語り部という横顔もお持ちの、ある意味「総合芸術家」のようなミュージシャンだ。 僕は子どもが生まれてから、すっかり石川県から足が遠のいてしまっているが、また機会を作って行きたいな。 何気ない話の中で、僕達の静岡県郷土唱歌と、みっちーさんの昭和歌謡との共演コンサートも企画しましょう、というアイデアも出た。 実現すれば、きっと面白いコンサートになると思う。

県民性

ある県外のミュージシャン(男性)に、○○さんっておいくつなんですか?と聞くと、静岡の人ってよく年齢聞きますよね、と返ってきた。 えっ!?そう…? 意外だった。 どうやら他ではあまり聞かれないらしい。 静岡はわりと保守的な城下町だ。 人に年齢を聞くのは、上下関係を気にするデリケートな風土でのちょっとした処世術なのだろうか。 タメ口でいいのか敬語でいくか…、みたいなことをぐるぐる考えちゃう人も多いような気がする。 初対面で出身校をよく聞くのも静岡ならではだ。 はじめましての後に、どこ高ですか?などといきなり聞く(となりの清水は中学)。 ところが、別に学歴などを気にしているわけではない。 話題のきっかけにしたいのだ。 静岡人はシャイだ。シャイなくせに、ずけずけと年齢や学歴を聞く。 それがまた親しみ深く、面白いなあと思う。 僕は、そのミュージシャンの見た目があまりに年齢不詳だったので、素朴なギモンとして聞いてしまったのだが、実はめったに歳は聞かないほうだ。 名前も聞かないことが多い。 初対面のラスタマンに「お名前は?」と聞いて、「名前なんてどうでもいいんだけどな…。」と言われ(名乗ってくれたけど)、若干カチンときつつも、まあその通りだよな、と思った記憶がちょっと影響している。

両立

イチョウの木が、黄色く燃えて鮮烈な光を放っていた。 深い秋も初冬に変わりつつある。 意外にもライブ・コンサート形式の演奏は、今年は11月で終わってしまった。 今ふとそれに気がついて拍子抜けしているが、今年の後半は特に忙しかったので、いい心の休養になると思う。 かといって暇なわけではなく、コンテンポラリーダンスのパレードの音楽を考えたり、来年に向けて頼まれた作曲をこなしたりと、課題は結構あるのだ。 ライブに対する心構えと、作曲に対する心構えを両立させるのはなかなか難しい。 言葉ではうまく言えないが、頭のなかで開く場所が違うという感じだ。 どちらかを考えていると、どちらかが疎かになってしまう。 ゆっくり一つのことに没頭できるのいうのは、ありがた~い、と思うのであった。 なんでもかんでも両立は難しい。 仕事と音楽、音楽と家事、家事と子育て。 仕事中に妙によい曲作りのアイデアが浮かぶが、うちに帰るとくたびれて寝てしまう。 仕事帰りのバイクで、急に仕事のアイデアが浮かぶが、翌日出社するとなぜかやる気が無くなる。 やることがたくさん残っているのに、「オレ今日ご飯作ろうか?」などと言ってしまう。 その時、そのことをやる、というのがなんでこんなに難しいのだろう。 パソコンに向かっていると、子どもがちらちらやってきて、勝手に笛を吹いたり太鼓を叩いたり、絵本を持ってきて読んでくれとせがんだり、どんちゃんどんちゃん邪魔をするが、またそれに癒やされながら、頑張れるのである。